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January 31, 2014

【細川氏・小泉氏:街宣】東京都から始める原発ゼロをこれからの日本の発展の軸に、世界にとってのインスピレーションに

2014/2/1

今のところ舛添氏が「優勢」と分析されている都知事選は折り返し地点。1月31日、新橋SL広場で細川護煕候補が街頭演説を、小泉純一郎元首相が応援演説を行い、SL広場は彼らの演説に耳を傾ける聴衆で溢れた。原発事故以降原発ゼロを唱えてきた文化人も応援に駆けつけ、昨日は瀬戸内寂聴さんが、今日は菅原文太さんが姿を見せた。

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細川氏・小泉氏の街宣@新橋SL広場。2014/1/31

細川氏、小泉氏の演説には、脱原発にかける想いや自然と共生することのできる社会構築を都政から始める、という明確な方向性やビジョンが太く一本通っている。そのビジョンは、経済最優先のアメリカや中国と比べて環境問題や人権問題に対してより高い意識を持ちながら高い生活水準を保ち、福島原発事故を受けて自然エネルギーにシフトすることを決断したヨーロッパの先進国のビジョンとかぶっている。

細川氏は戦後に核の平和利用の名の元に使われ始めた原発について、原発は今世界で一番古い産業だと言われており、リスクもコストも高く最終処理の方法も無い、時代遅れの代物だと述べ、311 後にエネルギーシフトに取り組み実際に成長しているヨーロッパの国々のことを例にあげ、脱原発とは絵空事でも夢でもなく、既にモデルケースが存在するという事実を語った。

小泉氏は、都政にいろいろと問題はあるが、誰がやっても大差ないでしょう、しかし唯一大きく変わるのが原発問題である、と原発があたかも問題にされるべきでないことのように提唱したがる勢力に対して釘を刺す形で応援演説を始めた。

現在の日本において、命に関わる原発問題は最重要事項であり、東京都が脱原発に舵をきることは当然重大な意味を持つ、と東京都から原発ゼロの流れをつくることの重要性を語った。

小泉氏は日本の経済界の「いますぐゼロは無理」という態度に対して、「今もうゼロじゃないか!」と現在54基全ての原発が止まっている、実質原発ゼロ状況で電気がまかなえている現状を改めて明言。日本の足を引っ張っているのは原発であり原発ゼロの方が日本は発展する、と首相時代に原発推進していたことの責任も認めた上で、政治が一刻も早く原発ゼロを軸とした新しい発展の方向へと舵を切ることの重要性を訴えた。

細川氏と小泉氏、両氏の年齢を合わせると148歳。細川氏は、政治の世界から身を引いて静かに本を読んだり、轆轤を回したり、絵を描いたりして過ごしていたが、どうも世の中の様子がおかしいので立ち上がることを決意したのだと語った。自身の高齢に関して、世の中の不条理に対して戦うことや理想を追うことができなかったときに人は老いる、と詩人の言葉を引用した。小泉氏も、年寄りは引っ込んでいようと思っていたけれど、止むに止まれる気持ちで出てきた。70過ぎたけれど、まだ話ができる。細川さんと街宣をしていると段々若返ってくる。やるべきことが見つかった以上立ち上がらなければいけない。まだ生まれていない命の為にも原発ゼロにしなければいけない、と自身の決意の堅さを見せた。

オリンピックについて細川氏は、今の時期にオリンピックをやること自体気が進まなかったが、やることが決まったからにはそれを目標とする。持続可能なオリンピック、原発を使わないオリンピックを実現する。オリンピックは平和の祭典なので、東北とその恩恵を分かち合い、自然エネルギーでオリンピックを行い、世界にとってのインスピレーションとしたいと語った。

それ以外にも、東北での津波対策として、高くて14メートルにも達するコンクリートで海岸線を埋め尽くして景観や生態系を破壊するよりも、前回の津波で流されなかった、根を深く張る東北土着の樹木を海岸線に植えて、緑の堤防をつくりたいと語った。

政治から身を引いてひっそりと芸術を楽しみながら暮らしていた細川氏の言葉からは、日本の自然や、日本という国に対する愛情、詩的な世界観も感じられ、街頭演説としては異色なところもある。小泉氏も自然と共に生きることのできる国にしたいと明言しており、国を会社と勘違いしている政治家の語り方とは根本的に異なるタイプの演説となっている。文化人からは、瀬戸内寂聴さん、吉永小百合さん、菅原文太さん、ドナルドキーンさん、湯川れい子さん、なかにし礼さん、坂茂さん、加藤タキさん、仲畑貴志さんなどが細川氏の指示を表明している。

原発ゼロが元首相たちの口から語られたことの意味は、物質的豊かさや、数字にして見える経済にばかりに傾倒し、同じ社会に生きる人々が立場を越え一体感を持って原発事故と真っ直ぐに向き合い政治を動かすことができなかった、夢やビジョンが決定的に欠落していた日本という国において非常に大きいだろう。

両氏の語った言葉と全く同じことを原発事故直後、もしくはチェルノブイリの頃から、もしくは核の平和利用や核実験が行われ始めた頃から、核に対するノーを地道に唱え続けてきた名も無き無数の市民達がいることも同時に世間に認知されるべきなのではないだろうか。

何はともあれ、名も無き市民活動家達の声と元首相2人の主張が共鳴し始めたのはとても興味深い動きだ。

そして宇都宮健児氏も脱原発候補としては堅く、サラ金やオウム真理教を相手に戦ってきた弁護士としての実績から見ても信頼のおける人物であり、市民とより直接的に太いパイプで繋がっており、市民の目線を持った人物だと言えるだろう。同日宇都宮氏は官邸前にて「福島の避難者、被災者を変わらず放置している。人間のやることではない」と原発再稼働や輸出に対して、反対デモ参加者と共に抗議をした。

脱原発候補の一本化が適わなかった為、脱原発派としてはどちらに一票投じるか決断の難しい選挙。脱原発派は、分断させられて脱原発同士で争うよりも、いかに舛添氏の票を切り崩し、いかに無党派層に働きかけ、いかに投票率を上げるか、そして最終的にどのように細川氏、もしくは宇都宮氏を勝たせるかに意識を合わせてゆくほうが懸命であるかもしれない。

同日上野で行われた舛添氏の街頭演説に集まった聴衆の大きさは、選挙カーの周りに集まった「人だかり」程度のもので、細川氏と小泉氏の集めた聴衆の数は遥かに舛添氏のそれを上回った。演説も終始時間を気にしながらそそくさとしていて熱が無い。基本的に現状維持することが目的での出馬であり、原発問題と向き合う姿勢はゼロ。オリンピックなどの「争点」に関しては一通り話をするものの、ビジョンや説得力に欠けるものだった。

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December 19, 2013

三宅洋平 × 山本太郎:『大デモ』そして『ザ・パーティー』表現者達の決意

2013/12/19

特定秘密保護法案が成立した翌日、12月7日に渋谷で三宅洋平さんが発案者の『大デモ』が行われた。

選挙や選挙演説の固いイメージを一蹴した三宅さんが発案者である『大デモ』の目的の1つは、日本においてのデモの固く殺伐として近寄り難い、若者ウケしないイメージを変えることだった。「数は力」なので、より参加しやすいデモカルチャーを創出する必要があった。

『大デモ』に参加した人、街で見かけた人、記事で読んだ人、ツイッターやフェイスブックで見た人はどんな印象を受けただろうか?

当日の参加者は特定秘密保護法案に対する「ノー」や脱原発を叫び続けるために来たバリバリの市民活動家から子供連れの家族、若者、ダンサー、ミュージシャン、様々なコスチュームを着た人々やプラカードを持った人々がカラフルで笑顔や表現の溢れる和やかで自由でパレードのような平和のデモ行進をし、サウンドカーはセンスのいい音楽を流し、参加者が行進しながら踊る姿も見られた。「飛び入りOK」のプラカードを見て『大デモ』のことを事前に知らなかった人がデモ行進に途中参加し、スタート時点では3000人程だった参加者は、5500人程に膨れ上がった。

アースガーデン主催のマルシェが広がる代々木公園の集会場所では、安倍芳裕さん、山田正彦さん、座間宮ガレイさん、孫崎享さん、K-DUB SHINEさん、難波章浩さん、そして三宅洋平と山本太郎さんがそれぞれ集まった人々に向かって、秋晴れの空の下話をし人々は熱心に耳を傾けた。

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そして大デモの後、渋谷のclub axxcisで行われたアフターパーティー、『ザ・パーティー』も凄まじい盛り上がりを見せた。演説やトークショーでは「好青年」という感じの印象を与える三宅洋平さんだが、本業のバンドマン三宅洋平となるとまた目の色や迫力が変わってくる。

「山本太郎に指一本触れたら、俺たちが許さねーぞっていう迫力を出してこうな。紹介します!山本太郎!」

『ザ・パーティー』のステージ上に三宅さんは山本太郎参議院議員を呼ぶ時にこう言った。12月の衆議院選挙の頃から続いている山本さんと三宅さんの絆の強さが伺える。

ステージに現れた山本さんは「政治家らしくしろってよく言われます。政治家らしくしろって。くそくらえだー!政治家らしくするってことが、空気を読むってことばらば、政治家なんかくそくらえだー!」と選挙中と変わらぬブレない態度で、盛り上がる聴衆と熱気でいっぱいになったライブハウスで叫んだ。そして山本さんは前夜に成立した特定秘密保護法案について語った。

「昨日ね、最悪の法律が通ったけど、これ絶対に止められる。どうしてかって言うと、ここまで人間を馬鹿にした、こんな法律が通るなんてあり得ない。そうですよね?この中に自民党に投票した人いますか?これが民意ですよ。これがみんなの声ですよ。これが聞こえないなら、政治家なんてやめてしまえー!今日のこの夜を最高のグルーヴにしているのは、この自由な表現者達の存在ですよね。そしてこのフロアで踊っている自由な表現者達の存在ですよね。その表現の自由を奪わすような法案、法律、潰す以外ないでしょ。とにかく僕たちは今試されている。国が言えば、お上が言えば、全て言う通りにするだろう。1年経って、2年経って、3年経てば、すぐに忘れるような馬鹿だって、あいつらは思ってる。でも違う。今回のこの件に関しては絶対にけじめとってやりましょうね。…絶対にひっくり返してやるぞ!絶対に忘れないでよ!山本太郎が倒されても三宅洋平がいる。三宅洋平の次に立ち上がるのは誰や!全員で立ち上がろう!…国会の中にいる奴らが1番心配しているのは、自分がこのままずっと政治家を続けられるかっていう心配だけ。自分の党がどれだけ大きくなれるかってことだけ。『だったら俺たちの声を聞けよ』そのことを教えてやろう!」

山本さんの真っ直ぐな訴えに人々は沸き、歓声と熱のこもったフィードバックがライブハウス内を渦巻いた。

山本さんがステージを去った後に、三宅さんはバンドの演奏をバックに語り始めた。

「俺たちがこうやって踏み出してゆくことによって世の中のいろんなリアリティーが俺たちのものになってゆく。今日だって太郎君はここへ来る為に警察の警護を申し出られてる。だけど今日は申し訳ないけど出番が遅くなってしまうってことで、警察にも先に帰ってもらったよ。じゃあ太郎君守るのは誰なんだ?太郎はこう言った。『今日はみんながおるから大丈夫やろ』これが今の日本の政治のリアリティーなんだよ。今この国で自由にものを言おうとすると命を懸けなきゃいけないんだ。1人でも多くが一刻も早く立ち上がることが、俺たちの孤独を癒してくれる最大の勇気なんだ。だから立候補しろとばかりは言わないよ。ただ自分の中のマラドーナ、自分の中のチェ・ゲバラ、自分の中のジェームズ・ブラウン、マイケル・ジャクソン、ボブ・マーリー、どこにいるの?探して!探して!探してよ!ヤーマン!それは何も特別なことじゃないんだ。日々俺たちは1日1日営みを繰り返している。営みの中にハートが入って行けばそれは自然と世の中を良くしてゆくことに繋がるんだよ。デモって何の為にやるんだろう?世の中を変える為にやるのかな?違うよ。俺が変わるためにやったんだよ今回は!同じでしょ!同じでしょ!世界を変えるなんてたいそうなことは言えないよ。日々俺の怠け心にパンチ入れるんだよ。もっとやれ!もっとやれ!三宅洋平もっとやれって!俺を一番応援してんのは俺自身なんだ。その為に今日デモをやる必要があったんだよ。俺は俺の心に火をつけ続けたいんだよ。そこでみんなの顔を見る、もっと火がつくね、勇気が湧くね。そこにはサスティンナブルなエネルギーが流れてるんだよ!これが循環型の社会!人間イズ最大のフリーエネルギー!…ボブ・マーリーはルード・ボーイの代表だったよね。ルードボーイってなんだい?マフィアでもない、軍隊でもない、ポリスでもなければ政治家でもない。街にいる普通のお兄さん達の正義が一番正しいんだよ!ゲットアップ!スタンドアップ!立ち上がれ街のお兄さん!ゲットアップ!スタンドアップ!立ち上がれ街のお姉さん!」

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三宅洋平さんや山本太郎さんの周りでは、冷めた空気を吹き飛ばすエネルギーが渦巻き、心に火のついた人々の目つきは変わり始めている。

今日の夜19時からは、今年最後の日本アーティスト有意識者会議NAUが開催される。一般の人々も番組観覧可能。出演者は三宅洋平、DELI、椎名純平、斉藤まさし、座間宮ガレイ、岡本俊浩で、Anta MEDIAによる生中継も行われる。

大デモホームページ:http://bigdemo.jp/

大デモに関する記事:http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/07/big-demo_n_4405941.html#slide=3197541(ハフィントンポスト)

http://blogos.com/article/75423/(BLOGOS)

December 3, 2013

【社説】『大デモ』群衆が集合的に創り出す、社会的アートプロジェクト

2013/12/3 -Tokyo

三宅洋平さんは今年の夏の参議院選挙に立候補し、主に原発、憲法9条、TPP、さらにはグローバルな規模で起こっている戦争経済からの脱却や地球環境保護などの問題に対して、妥協を一切せずに真っ正面から大胆に問題提議をやってのけた。『選挙フェス』を全国で展開し、やさしいながらも精度の極めて高い言葉と音楽を駆使しながら、民主主義や選挙や政治について啓蒙的なメッセージを人々に投げ続けた。結果こそ落選だったが、全くの無名の状態から17万票という票を獲得し、選挙前とは一味違った、理想を掲げることを恐れない、新しいオルタナティブな政治勢力、もしくは新しい共通認識と勇気と熱を持った「意識の大陸」を日本に生み出した。

そんな三宅さんが言い出しっぺのデモ、『大デモ』が今週末の12月7日(土)に迫っている。

選挙や選挙演説の固いイメージを一蹴した三宅さんの『大デモ』の大きな目的の1つは、日本においてのデモのどことなく固く殺伐として近寄り難い、若者ウケしないイメージを変えること。政治について友人や家族と日常的に語り合ったり、市民運動に参加したりはしてこなかった、社会活動家でもなく、断固とした主義主張を持っているわけでもなく、TPPや特定秘密保護法案の綿密な内容や問題点を把握しているわけでもないけれど、漠然と現政権に不満を抱いている「普通の人達」がよりカジュアルに楽しくデモに参加できるようにすること。老若男女がカジュアルに参加できて、音楽が流れ、様々なパフォーマー達がいて、マルシェなどもある、多様性の漲るパリやベルリンで行われるような、思わず踊り出したくなるような楽しいデモを三宅さんは思い描いている。

同じベクトルを持った人がたくさん集まって「お前らあんまり調子に乗るなよ」と政府にプレッシャーを与えるのがデモの目的。数は力であり、団結した群衆は権力にとっては脅威なので、一般のごくごく普通の人々が団結して理想を掲げることは、自民党やアメリカや多国籍企業の意思やビジョンではなく、市民の民意を政治に反映させて、少しずつ理想を市民の元にたぐり寄せてゆく為にはとても有効だし必要なこと。なので、現政権は好きではないけれど、デモのガチすぎる感じの雰囲気も好きではない、という人々の為にデモの敷居を下げる『大デモ』のアプローチは名案だし、 デモの目的を踏まえると実に現実的な考え方でもある。

私は個人的に『大デモ』をとても楽しみにしている。夢や理想を語れない冷めた社会から脱却することや、地震、津波、そして自然災害ではなく人災である原発事故を経験した日本人が抱いているある種の共通認識や感情を再び確認し合い、拡散し、一般市民が結束を強め、再びコミュニティーを創出することが必要な今、『大デモ』はその足がかりになるかもしれないと思うし、単純に『大デモ』がどんなデモになるのか興味深くもある。

経済的、物質的には豊かにはなったけれど、表面的な豊かさにばかり気を取られているうちに心が置き去りにされ、コミュニティーが細分化され、人と人との繋がりが希薄な寂しい社会になってしまった日本社会だけれど、地震や津波や原発事故といった大惨事を経験し、今またバラバラになった社会の中のあちこちで集合への欲求や、未来や健康を妥協するのではなく、シンプルに理想を掲げて進みたいという欲求が高まっている。原発事故後の日本という新しい時代は、私たちにとって、同じ社会の中で同じ時代を生きている人々とバラバラにではなく、再び共に生きることを始められる大きなチャンスの時期だと私は思っている。

「社会的アートプロジェクトとしてのデモ」

理由も無いのに音楽を演奏したり歌ったり踊ったり、絵を描いたり文章を書いたりするのと似て、デモはどちらかというと模索的で非合理的でクリエイティブな行動だと私は思う。合理的に効率的に動きたいと考えるのも人だけれど、非合理的な行為というのは、人間が人格を形成したり、社会や思想や芸術を成熟させてゆく為には最も大切な作業の1つ。

例えば1万人くらいの、ざっくりと同じような未来を思い描いている人々が物理的に集合して、一緒に夢を見たり、語り合ったり、平和の行進をしたりしたら、そこにはどんな空気や感情やアイディアが生じるだろうか?得体の知れない勇気を得て、何かをやってみようと思う人々もいるのではないだろうか?非日常的な光景や空気(群衆が集合的に創り出しているアート)に感化されて、人々は足を止めて何かを感じたり考えたりするのではないだろうか?

機械は証明されていることや効率の良いことだけをやるけれど、生ものであり心や感情を持っている人間は、非合理的なこと、短絡的に見たら意味のないこと、お金にも社会的地位にも資格にも学位にもならないけれど大切なことやおもしろいことなどもしっかりやらなければいけない。何らかの理由で何かをやりたいと感じ、思考し、行動に移し、試行錯誤を繰り返すことで物事はゆっくりと成熟してゆき、私たちは「何か」に近づくことができる。

デモをやってストリートに出て平和を叫んだからといって、すぐに戦争が無くなるかといったらすぐには無くならないだろうし、脱原発のプラカードを持って街中を練り歩いても、核のない社会が一朝一夕で実現するということはまずない。デモをやってみて、どのくらいの数の人々が賛同してデモに参加するのかも不確定。仮に数十万人のデモが起きたとしても、それによってもたらされる変化が具体的にどんなものになるのか断言することはできない。

だけど、わからないからこそやらなければいけない時もあると思う。最終的に戦争が無くなるかどうかはわからないからといって、戦争反対を叫ぶことをやめなくてはいけないということはないし、すぐに脱原発できるかはわからないけれど、もし自分が核なんか無い方がよっぽどいいと思っているなら、しっかりと夢を見続けて、自分にできることをやればいい。日本人はもっとドリーミーに、ロマンチックに生きてもいいと思う。

それに、人間の行動や習慣や、何を「普通」と捉えるかは、文化的、習慣的に確立されてゆくものなので、あるアイディアやビジョンが多くの人々によって集団的に共有され繰り返されれば、それはおのずと「普通」の現実となってゆく。硬直しているように見える日本の文化も、人が変われば変わるのである。

結果が見えない、成功する保証が無いという理由だけで、何かをやってみることが許されなかったり必要以上に批判されたり弾圧されてしまうような社会は、夢を見ることを許されない至ってつまらない社会だ。日本にはたくさんの素晴らしい文化もあるけれど、そうでない文化も多い。自由を嫌う窮屈で陰険で想像力やビジョンに欠けるパッシブアグレッシブで他人任せで無責任な文化には、できる限り染まらないでいたい。

ビジョンを持ち、自分のいる位置、立場、手元からやれることをやる。自分自身のベストを尽くすことが、私たち一人一人にできる唯一のこと。自分にできることは何かを自分の頭で考え、より多くの人が他人と競争したり合わせることにエネルギーを使うのではなく、あくまでも自己のベストの更新を継続してゆけば、まず国民の間に主体性が生まれ、次にその国民性がお国柄にも反映されてゆき、大きな空気も変わるかもしれない。

これから日本はある種の予感や理想を抱き、市民が結束を強めながら、夢の見れない冷めた社会から脱却し、共同体が持ち始めた共通認識の再確認や拡散を段階的に継続的にしてゆき、新しいポジティブな文化を築いてゆけるかもしれない。私は様々なことを日本に期待しているし、ポジティブな方向へのシフトの為に自分自身もやれることはやりたいと考えている。

『大デモ』は原発事故後に新しい時代に突入した日本における極めてポジティブでクリエイティブな「社会的アートプロジェクト」だと私は捉えている。三宅洋平さんのやっていることは、音楽活動であり、社会活動であり、政治活動であり、アート活動。『大デモ』からまた新たなコミュニケーションが生まれ、人々はお互いに出会い繋がり、インスピレーションや人間関係が生まれ、この若いムーブメント(または時代)は繋がり生き続け成長し続けるだろう。

では、デモで会いましょう。

 

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三宅洋平さんのブログ

http://ameblo.jp/miyake-yohei/

November 24, 2013

てんこもりだよ!【第10回: 日本アーティスト有意識者会議NAU】大詰めの特定秘密保護法案/国会での嫌われ者、メール・ファックス野郎/デモと言えば蝶ネクタイ/エンディングでのボレロ/そろそろ欲しい一勝etc

2013/11/25

昔僕らはもっとアーバンな(例えば中華料理屋のような)場所で政治について語り合ってましたね、と三宅洋平さんは話し出した。11月21日、第10回日本アーティスト有意識者会議NAUの公開生放送収録が都内某所で行われた。その晩、三宅さんは日比谷公園での特定秘密保護法案の反対デモに行っていた為会場には遅れて到着。『大デモ』企画の言い出しっぺでありながら、デモなんかやって意味あんのかよ!と思ったり、疲れてると面倒くさかったり、(酒の飲み過ぎで)体調が悪いこともあるけど、今日はやっぱり行ってよかった。得体の知れない勇気をもらったし、とても良い空気だった、と放送のオープニングで三宅さんは日比谷公園でのデモの感想を述べた。

今回の放送のゲストはラッパーのDELIさん、DJの沖野修也さん、参議院議員の山本太郎さん、ブロガーの座間宮ガレイさん、そして司会はフリーペーパーLJの編集長の菊池祟さんというてんこもりの顔ぶれ。

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(左から)菊池さん、山本さん、DELIさん、三宅さん、沖野さん、座間宮さん

NAUを1年前に始めた頃は聴衆はゼロだったけれど、選挙フェスや他の様々な活動を経て1年経ってみると、彼らには多くのオーディエンス(もしくは新たに生まれたオルタナティブな政治勢力)がついていた。

今回の放送の主なトピックは、9万件(反対が約8割を占めた)のパブリックコメントが寄せられた極端に評判の悪い「特定秘密保護法案」や、三宅洋平さんが言い出しっぺの「大デモ」など。三宅さんや個性豊かなゲスト達による機知に富んだシャープな政治批評やユーモラスな社会風刺が飛び交い、会場は全体的に終始明るく和やかな雰囲気。しかし和やかなだけではなく、会場の空気はメリハリ良く恐怖や笑いや危機感や決意で満ちた。

<特定秘密保護法案が通った後の世界を妄想>

最も盛り上がったトークのトピックの1つが、特定秘密保護法案が通った後に起こるであろう混乱についてのトーク。

危惧されることの1つは、『スフィンクスの問答状態。』公務員や一般市民やジャーナリストが「何が秘密かは秘密」だから、理由もわからずに逮捕されるという事態が起こるわけだけれど、理由もわからない状態で逮捕するわけだから、逮捕する側とされる側の両方に当然混乱が生じるのではないのだろうか?「スフィンクスの問答」みたいになっちゃったりしてね、と三宅さん。「俺は知らん」「いや、俺も知らん」「俺こそ知らん」「お前の方こそ知らないのか」みたいな具合に。

『逮捕の理由もわからず、「秘密」を抱えたまま一体どうやって裁判をやるのか』というのもこの法案の大きな突っ込みどころ。特定秘密保護法絡みの裁判が起きたときに、逮捕された理由を裁判長すら知らない状態で、一体裁判はどのように行われるのだろうか?是非、仮に自衛隊員や公務員が機密を漏らしたという設定の「模擬裁判」をやって見せて欲しい、と一同興味津々。

政府は26日に特定秘密保護法を通そうとしているわけだけれど、具体的に廃案にするにはどうしたらいいのか今まで知らなかったから、今は躍起になってみんなで勉強する機会だと捉えるしかない、と三宅さんは言う。

この法案が通ったら塀の外に日本人がいなくなっちゃうかもしれないね。笑 入り切らないから順番待ち、みたいな。満員で入れないから「早く入れて下さい」みたいなね。笑 とジョークが飛ぶ。

とにかくグレーな部分が多いこの法案。この法案が成立することによって、みんなが口をつぐみ合うような社会の風土をつくれればいいのだろう。社会の空気が硬直し、同調圧力操作がなされる。例えば、原発の作業員の人達も「ヤバい」情報をたくさんもっている。原発やTPP絡みの取材はやりにくくなるだろう。

ブロガーの座間宮ガレイさんは、もし逮捕された場合「探さないで下さーい!」というビデオを流してくれと既に友人に頼んであるらしい。笑

<「サイバーテロ」の仕掛人、国会での嫌われ者「メールファックス野郎」山本太郎登場>

今回の放送には、参議院議員となって4ヶ月の山本太郎さんも出演。山本さんは、みかん箱の上に立って特定秘密保護法案の危険性を訴える為の街宣「全国キャラバン」で全国を巡った。キャラバンはマスコミは全く見に来ないけれど、街宣を始めると道ゆく人々が足を止めて、話を聞いているうちに人々の目の色が変わっていったと山本さんは言う。

キャラバン中、山本さんは地元の議員に特定秘密保護法案に対する反対の意思表明や 「この法案に反対してくれない場合、次の選挙からあなたにはもう投票しません」といったような、国会議員にとっては背筋が寒くなるような内容のメールやファックスを送ることを有権者に勧めていた。なのでおそらく国会では自分は迷惑な「メール・ファックス野郎」として認識されていると思うと皮肉たっぷりに語った。

山本さんによると、国会議員に対して最も効果のあるのはアナログな手紙やファックス作戦らしい。電子メールは「何件」と数字で片付けられてしまうけれど、ファックスは物理的に事務所に紙の山ができるという状況をつくれるので、ファックスや手紙の方が効果がある。だから大事なメッセージはデジタルよりもアナログで。

ちなみに、このファックス作戦に対して「サイバーテロを止めろ!」という苦情がある党からあったらしい。低予算でソーシャルメディアやボランタリーなネットワークを駆使してネット選挙を戦った山本さんや三宅さんにしてみると、ファックスをサイバーテロと捉える現実と乖離したセンスが新鮮であり「そりゃネット選挙できないわ!」と会場で笑いが起こった。

包丁や銃弾を送りつけられている山本さんの状態に比べれば、有権者の声や想いをのせたファックスによる「サイバーテロ」くらい、かわいいものではないのか?という素朴な疑問もある。

特定秘密保護法案に関して山本さんは、どっちみち逮捕されるなら、この法案を通さないために行動を起こして逮捕されたほうが、逮捕されるタイミングとしてはいい。通った後にやっても駄目だと言う。うるさい人達を黙らせるため、弾圧するためにある法案だから、この法案が通ってしまったら、黙った方がいい。だから通る前に、例えば10万人で国会審議を止めるようなことをやるとかしないといけない。とにかく今国会期中にこれを通させない。留保戦術で伸ばしてゆく、と山本さんは危機感の強いコメントをして会場を後にした。

<沖野修也:デモと言えば蝶ネクタイ>

「デモと言えば蝶ネクタイ」とデモについて楽しそうに語るのは沖野修也さん。

基本的に、おもしろくないと動きたくないというポリシーを持っている三宅さんが言い出しっぺのデモは当然おもしろくなる方向へと向かう。そのおもしろいものの1つとして、「沖野修也が蝶ネクタイしてDJすんのが見れるよ」とのこと。

そんな沖野さんが披露したのは、ドイツのミュンヘンで参加したデモでのエピソード。彼はミュンヘンのデモで会って仲良くなった女の子の家に遊びに行って、女の子の部屋に行くと、手作りのピースサインのプラカードが飾ってあるのが目に入った。デモの時には皆手作りのプラカードを作って、君のかわいいね、君のかっこいいね、となる。

デモのイメージとして、日本ではちょっと危ない人がやるのがデモ、というイメージがあるかもしれないけれど、その女の子によるドイツのデモの感覚は、「ピクニック以上、危ない人の集まり以下」というあたりのライン。絶妙な例えのように聞こえる。それが沖野さんにとっての15年前のドイツ。沖野さんは今年日本での選挙フェスや大デモを見て、やっと来たか!と歓喜している。

DJは踊らせやのイメージだけど、物事の価値観を変えるのがDJなのだと沖野さんは言う。踊れないはずの音楽で踊らせる、つまり価値観を変えるのが、僕にとってのDJの使命。三宅洋平が選挙演説の価値観を変えたように、自分もデモの価値観を変えるのに一役買いたいと言う。ドイツのミュンヘンで出会った女の子のようにデモの当日は「1人の参加者として、かわいいプラカードを持って参加します」と沖野さんはお茶目にエピソードを締めくくった。

<大デモ、定義は自由>

デモが何かは自分が定義する、日本人もそのくらいになっていったらいい、と三宅さんは言う。 「誰か」がやるデモだという簡単なファクターにすがりついてしまう日本人がまだいる。ナタリーの記事で、このデモは「三宅洋平が率いる」と称されていたけれど、それでは主体性がない。言い出しっぺではあるけれども、このデモは自分の手からどんどん離れていってほしい。みんなが好き勝手にやってほしい。そして海外のデモとはまた違ったデモカルチャーが日本から始まればいい、と三宅さんは話す。

デモの敷居を下げる、というのがデモの雰囲気を楽しくする為に「大デモ」がとっている作戦の1つだけれど、それは例えばTPPのような具体的なトピックが踊りすぎると政治にそこまで詳しくない人達が食いつきにくいから。人をたくさん集めることがデモの1つの大きな目的であって、「集まれ!」と叫びながら排除してはいけない。リベラル勢力はお金ではなく理念で結びついているがゆえに内ゲバが起きやすく、些細な理念やスタイルの違いが原因で排他的な空気となってしまうこともある。そうではなくて、漠然とした大きな部分での意思の共有はできるんじゃないかな僕ら、といったくらいのノリで自由に、難しいことは気にせずに参加して欲しいというのが大デモの趣旨。デモをどう使うかは自由。デモで歩きながら商談してもいいし、ただおしゃべりしてもいいし、食べ歩きしてもいいし、散歩のつもりでもいいし、デートしてもいいし、ナンパしてもいいし、パフォーマンスをしてもいい。悲壮感はいらない、楽しくやるのがいいし、実際楽しくないと続かない。

マスクしながらデモというのもインパクトがあると思う、とDELIさんは言う。被曝のこともそうだけど、旬を過ぎると、「まだ言ってるの?」となってしまうことが世の中には多くあるけれど、あえて言うのも大事。「参加してる人全員がガイガーカウンター持ってたりしてね」とジョークも飛ぶ。

実際、デモのコースの線量は測って公開され、デモ本部では子供向けのマスクを配布することが決まっている。デモにはマルシェやお店の出店もあり、 サウンドカーの上に某ファンクバンドがのって演奏するという企画もある。

「サウンドカーの速さもけっこう関係あるよね。サウンドカーが速くてついていけないこともあるよね」とDELIさんがデモにまつわるエピソードを話すと、会場の雰囲気はまた和やかになった。

<三宅洋平:45過ぎたら映画監督になりたい>

ミュージシャンとして知られている三宅さんですが「45越えたら映画監督になりたいんですよ」と唐突にもう一つの企てについて話し始めた。

三宅さんが描きたいのは、放射能の問題などもシビアな茨城あたりのヤンキーを主人公にして描く、国のリアリティーと自分たちの無力さに直面してもがく若者達の姿。

エンディングの曲は優雅で壮大な「ボレロ」と決めている。オーケストラの楽器が同じ旋律を繰り返しながら、曲の進行と共に1人ずつ1りずつ加わってピークへと向かう曲。

映画の終盤で、主人公が感極まって言葉にできない感じになって、とにかく国会に向けてバイクを走らせる。ボレロが流れる。楽器が加わり音が重ねられるにつれて、主人公の周りにも一緒に永田町へ向けて走り出す人達が1人、また1人と加わる。クライマックスでは、商店街のおじさんおばさん、女子高生、サラリーマン、ヤンキーに芸術家、エリートにミュージシャン、先生や公務員、自衛隊員から現場仕事の人から主婦まで、老若男女みんなが永田町に向かって走る!という感じのエンディングにしたいのだと三宅さんは語る。三宅さんが映画のエンディングについて話し終えると、沖野さんが「三宅さん。映画のエンディング全部ばらしてどうすんの?」とすかさずツッコミを入れる。三宅さんは「デリ君にも近所の喫茶店のマスターの役とかで出て欲しいな」と楽しそうに語った。

「大デモ、僕の中では「ボレロ」が流れてます」

<国会の若者っぽい言葉遣いと、そろそろ欲しい一勝 >

特定秘密保護法案について、今回ばかりは、「あーまた駄目だったね」で流してはいけない、国会の通行口を何万人もの人達で塞いで、国会議員が国会に入れないようにして法案を審議させないとかしてでも止めないといけない、と三宅さんや山本さんは危機感を露にする。ここで勝って、市民活動が「一勝」して、勝ちを経験しなければいけない。

このままでは民主主義のようで民主主義じゃない「民主主義状態」法治国家のようで法治国家じゃない「法治国家状態」侵されてはいけない憲法が侵されている「違憲状態」がずっとまかり通り続けてしまうことになる。

一票の格差を巡る問題で出現した「違憲状態」という言葉(実際はただの「違憲」)に対して、はぐらかす時の言葉遣いが若者っぽいな国会も、と三宅さんがコメントを添えた。「状態」の「正体」とは一体何なのか?と誰かが韻を踏んだ。さすがはミュージシャン。「韻とダジャレは紙一重」らしい。

政治を放ったらかさないと決めた今、「へー、法案ってそうやって決まって行くんだね」と現在進行形で僕たちは学んでいる。真剣ではありたいけど、深刻にはなりたくない。ネガティブな要素に見える放射能や原発のことを巡って、僕らはこんなに国のことを考え始め、今まで苦手だった科学や経済や政治のことを学び始めた。今こんなに僕らが必死になって勉強したり行動したりしているのは、放射性廃棄物というモンスターを抱えてしまったからだけれども、放射能というのは、神様が僕らに置き落としたものなのかもしれないという解釈が今の僕の中にはある、と三宅さんは語る。

これからの展望について、政治に対する反応の仕方や情報共有のツールも進歩しているから、今までと同じはずがない。法案を通すやり方、立候補した人を通すやり方、廃案にするやり方も僕らは学んでいる。直接的なことをたくさんの人数がやらないといけない事態になることもありうる。殺伐としたダイイングメッセージよりかは、平和の行進によって日本をつくっていきたい、と三宅さんは言う。

November 20, 2013

【憲法カフェ番外編】川内博史:知ることを諦めずに質問し続けることで物事をシンプルにしてゆく

2013/11/21

11月13日にせたがや がやがや館で行われた憲法カフェ番外編『秘密保護法案について話そう』で、プロジェクト99%の安部芳裕さんと、川内博史前衆議院議員が講演した。

憲法カフェ

講演が始まってまず川内さんがした話は処刑されるソクラテスの話だった。プラトンが書き残した、処刑前のソクラテスの最後の弁明の内容は、「アテネの皆は世界一の街に住んでいるが、お金や物に心を奪われて本当に大切な魂をどこかに置き忘れているのではないか?なんの為に生きるのか?本当に大事なのは『こころ』であると皆が思い出 してくれるのならば、私は喜んで処刑されよう」といった内容だった。川内博史さんは現在の日本でも多くの人々が物質的な豊かさにごまかされ、翻弄され、「こころ」をどこかに置き去りにしていると危惧しているのだろう。

川内さんは、一見うやむやに見える収集のつかなそうな事態も、沸いてくる疑問に対して丁寧に根気よく質問をし続けることによって、わかりやすくシンプルにし てゆくことができると言う。そしてシンプルな事実を国民が共通認識として持ち、安易なイメージや妥協による政治決定ではなく、慎重な審議や議論やしっかりと検証された確かな情報などに基づいて国をつくってゆくことが大切。未だに解明されていない原発事故の原因や、不必要な消費税増税などについて、川内さんは自ら政府や東電に質問し請求した、政府や東電のクレジット付きの資料に基づいたプレゼンを行った。

この記事では川内さんが福島第一原発一号機の原子炉建屋内で実際に行った検証作業などに焦点をあてる。

<福島第一原発1号機の原子炉建屋内での撮影と検証>

事実を解明してゆく作業の一環として、川内さんは今年の3月13日と28日に、自ら福島第一原発1号機の原子炉建屋に入って撮影を行った。原発事故の原因はまだ 解明されていないので、記録を残しておくことが極めて重要だからだ。爆発でぐちゃぐちゃになっている原子炉建屋の内部は、原発事故の原因を究明する為の証拠の宝庫。まだ専門家による検証作業が行われていないのは、建屋内の線量が高く、長い時間のかかる検証作業を行うことが困難な為。撮影した映像がチラチラしているのは高い線量の為。本格的な検証作業の前に東電に原子炉建屋の中を片付けられてしまうと永遠に原因がわからなくなってしまうので、できるだけ記録を残しておきたいと川内さんは言う。

<地震による配管損傷の可能性>

「津波による全電源の喪失」というのが1号機の水素爆発の原因とされているが、地震による配管損傷や原子炉損傷の可能性もある。もしも地震による原子炉損傷や配管損傷が原因だった場合、安全対策の講じ方や、既存の原発の安全基準にも当然より厳しく懐疑的な目を向けなければならなくなる。

川内さんの「地震による原子炉損傷の疑いについて解析をして下さい」という問いに対して、「爆発の原因はわかっていない」というのが現在の政府の見解。

<水素爆発が4階で起きたのか5階で起きたのか>

1号機の原子炉建屋の爆発が4階で起きたのか5階で起きたのかはまだわかっていないことの一つ。

原子炉建屋は5階建て。川内さんのカメラが入り、1階から上階へ上ってゆく。金属製の階段、配管、ちらかっている建屋内。オレンジ色の階段は4階から5階へ上がる階段だが、爆発で潰れているため、誰も5階へは行けない。

高温の水素ガスが溜まり爆発に繋がったわけだが、5階はオペレーションルームとなっており、火元がないので発火源がわからない。

4階の天井には大きく空いた口がある。5メートル四方の大物搬入口だ。5階での作業に必要なものを出し入れする穴で、作業する時以外は人が転落したりしてしまうと危ないので閉まっている。燃料棒の出し入れ作業などもそこで行われていた。しかし水素爆発の後、その大物搬入口を閉じていた1.5tの鉄板が紛失していた。東電はどこにいってしまったのかはわからないと言っている。5階で爆発が起こり、下に落ちていれば下の階のどこかにあるはず。しかし4階で水素爆発が起きたとすれば、蓋は上に吹き飛ばされたという可能性が出てくる。

4階で爆発したのか、5階で爆発したのかは事故原因解明において非常に重要なポイント。

<非常用復水器>

非常用復水器は、地震などの際に自動的に起動して原子炉に水を回し、8時間から9時間炉心を冷やし続けることによって炉心の安定を保つ。一号機の水素爆発は、非常用復水器がきちんと作動していなかった為に起きたのでは?という説がある。

記録によると、14:46 に地震が発生し、非常用復水器は正常に作動したが、15:03に停止したとある。なぜ停止したのか?東電側の説明によると、「原子炉圧力陽気温度の変化率が55度/hrを越えないように停止操作。(手順書あり)」つまり非常用復水器は15:03に手動で停止されていた。

そして川内さんが非常用復水器を止めた理由が書かれているはずの「手順書」を請求すると、たくさんの事項が黒塗りにされた手順書が東電から川内さんに渡された。黒塗りの手順書が「非常におもしろい」ということで、その手順書が、NATUREに”Information blackout seen in redacted manual” 「編集された手順書に見られる情報ブラックアウト」という不名誉なサブタイトルと共に国際的に権威のある科学雑誌の表紙を飾った。そしてその後に、黒塗りのとれた「手順書」が公開された。

<水位計の表示>

1号機の4階には、2つの非常用復水器A系とB系ある。2011年10月18日にB系水位が85%となっていたが、2013年3月28日には、水位計が100%を指している。

どういうことなのか?

これまで水位計の表示も事実解明の参考にされてきたわけだが、川内さんが「水位計自体は信用できないのではないですか?」と聞くと当時の東電部長(現在は上務)は「そういうことですね」と答えた。

「4階と5階で同時に水素爆発が起きている可能性がありますね?」という問いに対しても、当時の東電部長は「可能性は大いにある」と証言している。

これらの証言は、原発事故の原因解明に直結する可能性のある重要な証言だと川内さんは言う。

<一号機でだけ作動しなかった記録装置>

原発には非常時の記録を残しておく為の記録装置がある。地震が起きて津波がくるまでの間(全電源を喪失する前)は非常用電源が作動し、様々なデータが残されているはず。しかし実際は、1号機のデータが取られていない。

配管損傷があったのか、津波で電源喪失するまでは大丈夫だったのか?そもそもなぜデータがないのか?川内さんが質問をすると、「プリンターの紙づまり」の為に記録が残らなかった、と東電側から説明された。原子力防災科は「補助記録装置は無く、電子的な記録も残されていない」と言う。

日本全国の原発でまた何かあったときに、また「紙づまりではまずいんじゃないですか?」と川内さんは聞く。東電側から渡された資料を見ると、福島第一原発の1号機だけで、データのバックアップがとれない状態になっていた。

<2号機と3号機にはまだ人が入っていない>

原因究明が全く手つかずの状態で現政権は再稼働や原発輸出を積極的に進めているというのが事実。

事故後、2号機、3号機にはまだ人が入ったことはない。線量が高過ぎて入れないからだ。現場検証をしなければ事故原因の解明はできない。しかし事故の原因もわかっていないのに、原子力規制委員会は新安全基準を作成して再稼働しようとしている。

「(津波による電源喪失ではなく)地震による配管損傷の可能性」を実際に政府も認めている。

<ミリシーベルトという単位について>

聞き慣れた「シーベルト」という単位、実際に何を示しているのか?「シーベルト」とは、突き詰めると、「人が何人死ぬか」を示す単位だと川内さんは説明した。

人の体には約60兆個の細胞があり、 1ミリシーベルトの被曝をすると、60兆個全ての細胞に放射線が1本ずつ突き刺さる。2mSvだと2本、3mSvだと3本の放射線が全ての細胞に突き刺さります。放射線は細胞を傷つけ、修復される細胞もありますが、細胞が修復されなかった場合、そこから癌や白血病が発症する。

1mSvの被曝による癌で死亡すると推定される人数は一万人のうち0.5人。20mSvだと11人。

<未知の領域>

今月の18日に始まった核燃料棒の取り出し作業や、これから少なくとも40年はかかると言われている廃炉作業は、東電はもちろん、人類が今まで直面したことのない状況。

燃料棒取り出し作業の工程表には「これから研究します」と書いてある。全てのことについてこれから。除染、放射線廃棄物、使用済み核燃料棒の処理の技術、どれ一つとして確立していない。

東海村の使用済み核燃料棒最終処分研究所でもそれは同じ。問題は、全て「将来なんとかします」というのが今の現状。

東海村の研究所の試験で使われている核燃料棒は4メートルくらいの細い棒で、近づいたら人は即死してしまう為、厚いガラスの向こうにある。ロボットアームをつかって持ち上げ、切って、硝酸液をかけて溶かす、そしてそれをプールに入れる。川内さんが「プールの底はステンレスだから溶けるんじゃないですか?」と聞くと「そうでしょうが、将来なんとかします」と返ってくる。

こんな状態で原子力を使い続けるのは、正気の沙汰ではない。

1号機は水素爆発だったが、3号機は核爆発だった疑いもある(自発核分裂が起きていたことは政府は否定していない)。クロル38が出たという報告は政府の資料の中に存在する。 仮に水素爆発だったとしても、少なくとも広島型原爆の168発分の放射性物質がでている。しかし、もしも3号機の爆発が核爆発であった場合は、3桁くらい違った数字になってくる。情報が明確にされ、知らされなければならない。

情報公開は民主主義の大原則。人権が軽視、無視されがちな軍事国家、警察国家、ファシズムの元では情報は隠され、豊かで住みやすい人権社会では情報は公開されオープンになる傾向がある。「政府は国民が諦めるのを待っている」と川内さんは言う。知ることや、自分たちの民意を反映させることや、腐敗と戦うことを国民が諦めるのを政府は待っている。偽りでない豊かさを手にするには、当然私たちは諦めずに、真実を知ろうとしなければならない。国の舵を取ってゆくためには、私たちはまずは知らなければならない。

November 7, 2013

【第9回:日本アーティスト有意識者会議NAU】三宅洋平、吉原毅、座間宮ガレイ、そして名も無き何十万という群衆(もしくは有意識者達)の話

2013/11/7

10月31日、夜8時過ぎ、NAU(日本アーティスト有意識者会議)の月に一度の番組配信で、「選挙の方が目的が1個でわかりやすかった。アフター選挙のが大変」と、三宅洋平さんは生中継の会場に足を運んだ約30人の人々と、ネット配信を見ている視聴者に向かって話し始めた。

選挙後、三宅さんは多くのインタビューやイベントに出演しながら、音楽活動、政治活動、共に続けている。

三宅さんは、今週末11月9日、10日に自身が沖縄で始動した野外音楽フェス「残波ジャム」を控えていて、来月12月7日には、自身がプロデュースする初のデモ「大デモ」があり、準備を進めている。

今回のNAU生放送のゲストは、日本で最初に脱原発宣言をした金融機関、城南信用金庫の吉原毅理事長と、初のネット選挙で、ブロガーという独立した立場から、独自に築いたネットワークとユニークな発信方法で山本太郎さんの選挙をブレーンとしてデジタルとアナログの両サイドからサポートし、選挙フェスでは自らステージにも上がり日米原子力同盟について演説をした座間宮ガレイさん。

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吉原毅さん、座間宮ガレイさん、そして三宅洋平さん、現在それぞれのフィールドで先陣を切って日本の未来を切り開こうとしている3人の有意識者が、それぞれの切り口から今までの日本、これからの日本について語った。

それぞれのトークの要所をまとめて紹介する。

【吉原毅:城南信用金庫理事長】

吉原毅さんが番組中に最も時間をかけて語ったのは、「お金」とは何か、という根源的、哲学的、道徳的なテーマだった。彼は自身のことを、健全に的確にお金を使ってもらえるように融資をするプロ、と職業的な自分の立場を明確にした上で、現在の日本の大きな問題の1つは、「お金」に対する問題意識が皆無であることだと語った。

昔は高校生も大学生も、商店街のおじさんやおばさんも、「お金とは何か」といったようなことに対する意識を持っていて、皆それについて真剣に議論をしていたと吉原さんは言う。その頃人々は現在のように、お金とは良いものだ、大事なものだ、無くてはならないものだ、と手放しで盲信的にお金や経済を崇拝しなかったと言う。

お金は人の心に麻薬のように作用するものであり、道徳や哲学がそれを制御する為に必要であるが、お金に対する問題意識や道徳心は、70年代の後にぶち壊されていったと吉原さんは語った。

お金や「豊かさ」によってもたらされた「自由」によって、人々は手を取り合って助け合う代わりに、お互いに距離を置くようになってしまった。お金がもたらした「自由」によって人は表面上では1人で生きてゆけるようになった。 人々はバラバラになり、地域のコミュニティーや、血の通った人と人との繋がりは失われていった。そしてコミュニケーションの手段がお金しかなくなってしまった。戦前には普遍的だった大家族も姿を消し、戦後には一般的な家庭の形は核家族となり、そして現在はその核家族の残骸のようなものがある。

「豊か」であっても、コミュニケーションや人と人との繋がりが希薄で、心の貧しい社会となってしまったわけである。

廃炉問題とそれにかかる費用についての質問に対して、吉原さんは、東電は廃炉費用はおそらく計算していない、見て見ぬふりをして、問題を先送りにしている。問題を先送りにするのは「不良債権」そのものであり、不健全な未来しか見えないような事業(原発事業)はやらない方が良い、と金融業者らしい意見を述べた 。

「リスク」と「クライシス」とはそもそも全く異なるものであり、金融機関が「クライシス」(この場合は原発事業)にお金を融資するというのは、そもそもあってはならないことであり、責任のある相手にしか融資をしないのが、責任のある金融機関であると述べた。しかしメガバンクは、原発に対して「乗りかかった船」状態になっており、引くに引けない、今更梯子をはずすことができないでいるのだと言う

これから日本社会をシフトしてゆく為には、今現在日本で原発は一基も動いていないという事実や、それでも電気は余裕で足りているという事実、そしてどのくらい余裕があるのかなど、正確かつシンプルな事実を伝えてゆくことが大切だと吉原さんは語った。

生放送中、小泉純一郎元首相と城南信用金庫の関係も話題に持ち上がった。最近になって小泉純一郎元首相の脱原発発言がメディアによって多く取り上げられているが、去年4月の段階で、小泉純一郎元首相は脱原発についての講演を、約1000人の城南信用金庫のお客様を招待したパーティーで行っている。

自民党とは、歴史的に原発を推進してきた張本人である。自民党の小泉純一郎元首相の脱原発発言について、吉原さんは「方法が目的化してはいけない」という切り口から語った。政治とはイデオロギーやプロパガンダや主義主張の激しい世界ではあるが、「あいつとは手を組みたくない!」というのは、単なる稚拙なエゴやプライドであると言う。目的や理想を忘れた政治家達は、「単なる当選した人達の集まり」でしかなくなってしまい、自分のイデオロギーや派閥にしがみつき、結局存在することはできても、理想や目的を達成できない。民主党が失敗したのもまさにその為であり、彼らは選挙で勝って存在することはできたが、目的を果たすことはできなかったのだ、と吉原さんは言う。

分断と争いは簡単だが、融合は難しい。逆に言えば、自民党の強みとは彼らの「アメーバ性」であり、今は過去のことを水に流して、脱原発の為に手を取り合うタイミングである、と吉原さんは言う。

【座間宮ガレイ:ブロガー】

2011年3月11日からノンストップでリサーチや発信を続けている、ブロガーの座間宮ガレイさんは、参議院選挙中は、山本太郎参議院議員のブレーンとして、独自のネットワーク感覚や感性、様々な媒体を利用したユニークで機敏、そして感情や血の通った発信方法や拡散方法を駆使して活躍していた。

ネット選挙最前線を突っ走っていた座間宮さんは、今回「ネットワークの本質」について語った。

ネット選挙では、選挙に関する情報の伝達スピードが著しく変わったことや、それによって機動力が断然上がったこと、人を集めることが容易になったことなどがあるが、座間宮さんが、ネット選挙を通じて気づいた「ネットワークの本質」というのは、ネットワークは「当事者意識」を生むということだった。

何らかの組織に属することと、ネットワークの一部を担うこと、座間宮さん風に言うと「ネットワークコア」となることは全く異なる経験だ。ネット選挙中に人々の間に生まれた、自分は血の通ったネットワークのコアであるという意識と感覚は、自分がまさに選挙情勢を変える当事者であり、情報発信者であり、運動の一部をつくっているのだということを、人々に強く意識させたと座間宮さんは言う。それによって今回の参議院選挙では、山本太郎さんや三宅洋平さんの周りで、自発的な運動員が増殖した。

「ネットワークコア」の特徴としては、コアにいる人々が動くことによって、運動がより共有、拡散、展開されると同時に、今まで外にいた人々もコアに呼び込まれ、コアとして動き始めるというところだ、座間宮さんは説明する。

例えば、彼の動きを見ていたアメリカ在住の友人は、参院選中にアメリカから東京にいる友人に1日10本投票を呼びかける電話をするというノルマを自身に課していた。彼は新たな「ネットワークコア」となったわけだ。

このように多くの人々が血の通った動きをしたのは、単純に情報の拡散が容易なデジタルなネット選挙だったからではなく、アナログなエネルギーが介在したからであると座間宮さんは語る。自分が見て感動したものを他の人と共有したい、という気持ちがそこにはあった。そのように伝わっていったもの、共有されていったものは、単なる情報ではなく、感情でありモチベーションであったのだと座間宮さんは言う。

今回の参院選中に、ネットワークコアとして動いた人々の中には、親子関係が復活したというようなケースもあったという。サッカーや野球の話をしても、何をしても駄目だった親子関係が、選挙をきっかけとして復活する。政治の話が極めて良い会話のトピックになったというケースもあったようだ。

選挙が終わった今、選挙中に構築され、山本さんや三宅さんをつくりあげたネットワークを今後に生かす為に、座間宮さんは新たに、「3年後政治状況をひっくり返すための100万人無料メルマガプロジェクト」を始動。まだ100万人には遠いが、メルマガ登録者は3日で1000人に達した。7日現在の登録者数は1710人。メルマガは、書かれた記事が登録者に直接メールで送られる、つまり登録者がわざわざサイトを見にいかなくても届くので、デジタル媒体の中でも、とても直接的な媒体だと座間宮さんは述べた。

【三宅洋平:ミュージシャン】

日本アーティスト有意識者会議の発起人である三宅洋平さんは、今回の放送では主に自身がプロデュースする初のデモ、「大デモ」についての話をした。

「大デモ」の目的は、デモをカジュアルに楽しくすること。三宅さんのプロデュースする「大デモ」は、パリやベルリンでの多くの若者が参加する、楽しいデモをモデルとしている。大規模なデモがあると、10ヶ月後に出生率が上がるというデータもあるらしい。デモが男女の出会いの場にもなっているのだ。政治について語り合ったら惚れちゃったということも多い、子供もできてめでたいことばかりだ、と三宅さんは冗談混じりに、しかし楽しみそうに語った。

デモには社会的メッセージもあるが、デモを難しくしすぎてはいけないと三宅さんは言う。「群衆とは力である」ということを示すのがデモの本当の目的であるからだ。「名も無き何十万という群衆」という大きな存在としてのメタメッセージは、政治家達には大きなプレッシャーとなる。意識を持った「群衆」というものがこの国には存在しているということ自体が悪政を抑止する力となる。

原発事故後は、約40年間もの間大規模なデモが行われなかった日本でも、大規模なデモが数多く起きた。マスコミはそれらをほとんど報じなかったが、それは報じたくないくらい「やばい」ということなのだ、と三宅さんは言う。政権は群衆を気にしているからこそデモを報じないのだ。マスコミが報じないからデモをやっても意味がないのではない。デモは、「僕ら」という存在はこれだけいるのだということを示す、今は黙っているけれど、「僕ら」はきちんと政府の動向を見つめているし、いざとなったら行動にも出る、あまり調子に乗るなよ、というメッセージを送るものだ。「大デモ」は現在参加団体を募集中。勝手連など、自分の自己表現をデモの中に叩き付けて欲しい、と三宅さんは締めくくった。12月7日「大デモ」の出発点は代々木公園。

ようやく目覚め始めた日本、吉原さん、座間宮さん、三宅さんのような人々、そして無数の有意識者達が勇気や愛や決意を持って先陣を切って旗を立てている。皆が見えるように理想を空に打ち上げている。そして今は空にあるその理想を土に降ろし、しっかりと根を張らせるのは、「名も無き何十万という群衆」の役目である。

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毎回違ったゲストを迎えて行われる、NAU生中継は月に一度。一般の方が生中継を会場で閲覧することもでき、定員は30名限定。

次回は11月21日。

第10回 日本アーティスト有意識者会議 NAU
日時:11月21日(木) 20:00~
配信:http://ustre.am/KiNq
出演: 三宅 洋平 / 菊地崇(LJ編集長)
ゲスト:山本太郎(参議院議員)
沖野修也(DJ/クリエイティヴ・ディレクター)

October 22, 2013

『みんなでつくる民主主義』ワークショップ:草の根から「合意形成型」の民主主義とコミュニケーションスキルを育む

2013/10/22

「参加型民主主義」という言葉が多く使われるようになりました。民意を国政に反映させるのが民主主義なので、もちろん始まった当初から民主主義は参加型なのですが、民主主義の形骸化が深刻になり、「参加型」という言葉が新鮮に響くまでになりました。

民主主義が「参加型」であるということの他にもう1つ着目するべきことは、民主主義で大切なのは、多数派の意見をどんどん通してゆくことではないということです。民主主義は多数決で決まったことをただやればいいというほど単純なものではありません。参議院と衆議院で過半数が取れたからといって、何をしてもいいわけではないのです。多数派だけではなく少数派の意見や立場や価値観も反映させながら、話し合いを通して共通のニーズをあぶり出し、「合意形成」をし、様々な人々が暮らしやすい社会をつくってゆくのがより優れた民主主義のあり方です。このような民主主義のあり方については、”ハト派”政治家、元自民党総裁の河野洋平さんもラジオフォーラム第40回放送で語っています。

それではこれだけ多様な立場や価値観やライフスタイルの混在する世の中で「合意形成」は一体どのようにしていったらいいのか?

この難題に答えてゆけるようになる為のワークショップ、『みんなでつくる民主主義』が、10月1日に冨田貴史さんと中園順子さんを講師に迎えて、世田谷区の南北居酒屋チャランケにて行われました。

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このワークショップは、政治に対して無関心な人に大切なことを伝えたり、対立意見を持つ人々と建設的な会話をしたり、人々を分断する多数決やディベートではなく、様々な意見、立場、見解を擦り合せて検討し、「合意形成」をして物事を前進させるスキルを磨く為のものです。「まわりの人にうまく伝えられない」という悩みを抱えた参加者がそれぞれの直面しているリアルな問題、現状をシェアし、ノウハウや実践例を交換し、コミュニケーションスキルを学び磨き、試行錯誤し、草の根からしっかりと民主主義を育んでゆくというのが、このワークショップの中心課題です。

ファシリテーターの冨田さんと中園さんの的確な進行や、洗練された言葉やトーンや前置きによる補助の元、参加者は話す、聞くという基本的なスキルを意識するとともに、実際的なマーケティングやブランディングに関するノウハウや、チャンクアップ/チャンクダウンのスキルなど、すぐに実践できる様々なことを学びました。

建設的な話し合いをする為のコミュニケーションの基本的な心得や、ポジティブ・ピースとネガティブ・ピースの違いなど、以下でワークショップから抜粋した内容をいくつか紹介します。

①聞き方

人の話をきちんと聞くということは、基本中の基本ですが、他の人が話している時も自分の主張のことを考えていたりと、意外にできていないことがあります。

相手の話をしっかりと聞くという姿勢は、建設的な話し合いをする上でとても重要です。自分の意見や立場が相手のそれよりも重要であり正しいという前提の元に話し合いに臨むよりも、オープンなスタンスで臨む方が冷静に建設的な話し合いができるからです。

相手が話している時は相手の話をきちんと聞くということを、基本に立ち返ってもう一度意識し、聞くときは自分のことを考えるのを一旦やめて、相手の話を聞くことだけに集中する癖をつけるといいでしょう。

これは特に対立意見を持った相手や、温度差のある相手と冷静な話し合いをするには重要です。気の知れた仲間と話すのが楽なのは、すでにお互いが類似した見解を持っているので、おかしなことは言わないという安心感もありますが、それに加えて「聞く」ことにかかるエネルギーが少ないからでもあります。

特に熱心に勉強をしている人にとっては、対立意見やリサーチ不足や考えの足りない人の話を黙って聞くのは時に簡単なことではありませんが、伝えることだけに必死になっても、コミュニケーションは成立しないことが多いのです。

政治家の演説も悪いコミュニケーションの一例となりうるでしょう。多くの政治家は、雄弁かもしれませんが、必ずしも国民側は彼らの言葉を熱心に聞くわけではありません。その要因の一つとして、国民側の心の中には、政治家は自分たちの声など聞いていない、どうせ政治家は民意を反映するつもりはない、と感じているということもあるでしょう。自分の話を聞いてくれない傲慢な相手の話は聞きたくないというのは普遍的な心理です。

議題に対して自分と違った見解を持っている相手と話すときは、相手の言ったことをリフレーズしたり、要約したりして「オウム返し」で相手に返し、相手にこちら側の理解が正しいか確認するのが有効です。そうすることによって自分が相手の立場や見解を理解、把握するだけでなく、こちらがきちんと話を聞いているということを示すことができるので、相手も安心し、より話しやすい空気をつくることができます。

②話し方

勝ち負けを決め、分断を深めやすい多数決型のディベートではなく、コンセンサスをつくりあげてゆく、合意形成型の話し合いをするには、相手を論破したり、意見の合わない部分を強調、ハイライトして既に存在している溝を更に深めるのではなく、二つの異なった意見の間に存在する共通したニーズを指摘し、合意できる部分をあぶり出すことを意識することが大切です。

言葉のチョイスとして「意見」よりも「立場」という言葉を使うとニュアンスや印象が柔らかくなったりもします。一つの伝え方に固執せず、メッセージを伝えるには、どのような言い方、伝え方、方法が有効なのか、クリエイティブに考えてみましょう。

明らかに対立した意見を持っている相手と話すときは、熱くなって喧嘩になってしまうようなことも充分ある得ることですが、そのような時は、戦っているのはあくまでも「主張」同士であって、その主張を持った本人同士ではないということを頭に入れておくといいでしょう。主張が違うからと言って、相手を憎んだり喧嘩をする必要はありません。

自分でリサーチをすることや、トピックについて事前に勉強してから話し合いに臨むという基本的なことももちろん大切です。

③建設的な話ができる「場」のつくり方

大人数で話すときも、一対一で話すときも、円滑で建設的なコミュニケーションの成立しやすい、「場」や「環境」や「ペース」や「空気」をつくることは非常に大事です。

このワークショップ自体も、意識的に創出された、民主主義について話す「場」であるわけです。そして冨田さんと中園さん、そして参加者によって話しやすい「空気」や、皆が参加できる「ペース」や、建設的な話し合いのできる「環境」がつくられました。

ワークショップはまず、参加者全員がお互いの話を聞き、話し、お互いについての情報を共有することから始まりました。自己紹介、ワークショップに来た理由、ワークショップに何を期待しているのか、コミュニケーションのどのようなところに苦手意識を持っているのかなど、参加者全員がそれぞれ話し、それぞれの立場や直面している問題や苦手意識をまず共有しました。

必要な情報や苦手意識や抱えている問題やそれぞれの立場を共有しておくことで、白紙の状態で急に話を始めるよりも話合いをスムーズにすることができます。

緊張せずに話せるようにリラックスした空気をつくったり、とりとめなくだらだらと話すのではなく、何の為に話し合っているのか目的を時々確認しながら話したり、どちらかが一方的に話し、どちらかが一方的に聞くということになってしまわないように、バランスに気を配ることも大事です。

④ポジティブ・ピース vsネガティブ・ピース

ピース(平和)には2種類あります。

ポジティブ・ピースは、話し合いのなどの成果により、みんなが納得した状態がつくられ、誰かを犠牲とすることなく成立している平和な状態。

ネガティブピースは、誰かが犠牲になったり我慢したり、時には財産や健康や人権や命を失うことによって成り立っている平和のこと。

現在の日本の「平和」はどちらでしょうか?現在日本は戦争をしない平和な国と一般的には認識されていますが、果たして日本は本当の意味で平和なのでしょうか?日本の風土は年間3万人を自殺に追い込む風土です。日本には昔から労働問題や沖縄の基地問題があり、2011年には深刻な原発事故を経験しましたが、現政権はその深刻さを真っ向から否定しています。大企業優先の経済がアグレッシブにつくられ、自然や古いものや商店街やコミュニティーに基づいた地域経済や、人間一人一人の主体性は無視される傾向にあります。

これはポジティブ・ピースでしょうか。それとも多くの人々が我慢し犠牲になることによって成り立っているネガティブ・ピースでしょうか。

ポジティブ・ピースをつくってゆくには、もちろんコミュニケーションが必須となります。しっかりと相手の話を聞き、伝えるべきことは伝わる方法で伝える努力をし、共通のニーズをあぶり出し、合意形成することで辿り着けるのがポジティブ・ピースです。

この合意形成の為の話し合いは、「和」を重んじる国民性を持つ日本人が、本当の意味での「和」、ポジティブな「和」をつくるためにまさに必要な技術なのではないでしょうか。

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*   今後の『みんなでつくる民主主義』ワークショップ開催予定

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2013/11/14 (木) 『みんなでつくる民主主義』ワークショップ VOL.3

場所:カフェ・オハナ
・午後の部=14:30~17:30
・夜の部 =19:00~22:00
ファシリテーター:冨田貴史&中園順子(まるじゅん)
参加費:2000円

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2014/2/10 (月)     『みんなでつくる民主主義』

場所:南北居酒屋チャランケ

ファシリテーター:冨田貴史&中園順子(まるじゅん)

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*ファシリテータープロフィール

・冨田貴史
京都在住。全国各地で年間300本以上のイベント・ワークショップを続けている。ワークショップのテーマは暦、エネルギー、手仕事(茜染め、麻褌、鉄火味 噌など)、自家発電など。『母笑み疎開保養大作戦~海旅Camp』共同代表。2013年春、大阪中津にて養生のための衣食を自給する冨貴工房オープン。宮 崎県串間にて福島の子どもたちのための保養施設作り準備中。著書「わたしにつながるいのちのために」、「今、わたしにできること~目に見えないものをみつ めて生きていく~」ほか
http://takafumitomita1320.cocolog-nifty.com/blog/

・中園順子(まるじゅん)
大量生産・大量消費の世界に疑問を感じ電通を15年で退社。コピーライターの経験を生かし、個人も地球も持続可能な幸せを実現するための情報発信中。トラ ンジションタウン(TT)やエコビレッジに関するイベント/ワークショップ開催なども。NPO法人トランジションジャパン副代表理事、パーマカルチャーデ ザイナー、ヨガインストラクター。現在日本最南端のTT、オーガニックいとまんchuで活動中。
http://organicitoman.ti-da.net/
http://marujun.ti-da.net/

September 19, 2013

【チダイ&座間宮ガレイ】オフラインでも動くパワーブロガー達の秋の企画、「タブー解禁!秋の原発文化祭」

2013/9/20

大手メディアがスポンサー関係の事情や保守的な体質の為に、牙を抜かれ骨抜き状態になり、本来権力の暴走を監視する役割を担っているジャーナリズム機関でさえもが権力サイドに寄り添うように報道をしている日本のメディアの窮状は、原発事故後におそらくかなりはっきりと認識されるようになっただろう。

そんな腐敗したメディア環境の中で最も生き生きと、それぞれのクリエイティブな方法で自発的に信念を持って現実と向き合い、起きた出来事に対して反応し、情報発信者として、独自のレイヤーでマスメディアが本来果たすべき役割をマスメディアに代わって果たしているのはブロガー達かもしれない。そしてブロガー達の中でも鋭い感性や洞察力や一貫性をもって質の高い情報を発信し、オフラインでも活動し、その結果として情報受信者に影響を与えている「パワーブロガー」達がいる。

原発関連の情報発信に特化しているブロガーでは、日本が脱原発できない大きな要因の1つである日米原子力協定に着目した第一人者である座間宮ガレイさんと、チダイズム〜毎日セシウムを検査するブログ〜を書いている、食べる?の出版が間近のちだいさん、この2人の発想力、持久力、行動力には目覚ましいものがある。この2人は、原発問題に真剣に切り込み、前回の参院選でストレートな態度で脱原発を掲げ続け、無所属で当選した山本太郎さんの選挙戦にもブレーンとして精力的に関わり、山本さんの周りで選挙戦を盛り上げ、オンライン、オフラインの両側で士気を高めていた。

座間宮さんは、山本太郎さんと協力体制で選挙キャンペーンを行ったミュージシャンの三宅洋平さん企画の「選挙フェス」のステージにも実際に登壇して日米原子力協定についての演説を行った経験もある。

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7/20に渋谷で行われた選挙フェスで演説をする座間宮さん

この2人が共同で9月21日(土)にパワーブロガーちだい&座間宮ガレイの【タブー解禁!秋の原発文化祭】と称したイベントを13時から新宿のロフトプラスワンで行う。

企画内容は、ちだい企画「セシウムお化け屋敷!」、座間宮ガレイ企画「日米原子力協定お化け屋敷!」、ゆるゆる飲みイベント「原発フィーリングカップル(仮)」などで、料金は2000円。

原発事故や放射能汚染の捉え方や付き合い方は人それぞれ。しかし政治家がいくら嘘をつこうと、大手メディアが軽視しようと、原子力ムラが揉み消そうとしようと、放射能汚染が現在進行形で起こっているということは明らかなことであり、自国で原発事故を経験した日本人だけでなく、世界が放射能汚染と向き合わなければいけない時代。そういった意味では、ちだいさんや座間宮ガレイさんのような人達は、原発事故を節目に私たちが突入した新しい世界に敏感に反応し、迅速にやるべきことを考え、見つけ出し、行動し、最先端を突っ走っている存在と言っても過言ではないかもしれない。これから嫌でも付き合い続けなければいけない原発問題、この2人の筋の通った、知的、科学的、論理的、そして倫理的な原発事故や放射能汚染との向き合い方や、情報を受信するだけではなく、自分にできることを考え、自ら独立したメディアとなり情報を発信するという姿勢や考え方は、様々な情報発信や相互コミュニケーションのツールがある現在、多くの人が参考にできるものではないだろうか。

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渋谷の選挙フェスで演説をする座間宮ガレイさん

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(左)チダイさん(右)三宅洋平さん

柏の選挙フェスで登壇したチダイさん

柏の選挙フェスで登壇したチダイさん

August 20, 2013

プロジェクトFUKUSHIMAレポート: 新しい文化、再生への意識を福島から世界へ PROJECT FUKUSHIMA REPORT: Sending Out The New Culture And The Consciousness Of The Regeneration From Fukushima To The World

2013/8/20

日本にとっての終戦記念日でもある先週8月15日に、大友良英さん、遠藤ミチロウさん、和合亮一さんが代表を務める、プロジェクトFUKUSHIMAの企画の1つである、フェスティバルFUKUSHIMAが福島市の街なか広場で行われた。フェスティバルFUKUSHIMAは、震災のあった2011年に始まり、今年が3回目。

Hideyoshi Ohtomo, Michirou Endou, Ryouichi Wago hosted “Festival Fukushima” at Machinaka Hiroba (park) in Fukushima city on August 15th, also an anniversary of Japan’s WWII surrender. Festival FUKUSHIMA is one of the many projects of Project FUKUSHIMA which started in 2011 after the 3.11 earthquake, tsunami and the nuclear disaster.

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イベントには、遠藤ミチロウ、長見順、坂本龍一、勝井祐二、ユザーン、大友良英、テニスコーツ、浜田真理子など、数多くのミュージシャンが出演。会場にはプロジェクトの「工場部隊」が全国から送られてきた様々な柄や色の布を利用して作った味のある大風呂敷が敷かれ、広場の中央には盆踊りの為の櫓が建てられ、福島県内外から多くの人々が来場した。

Musicians who played at the event were Ryuichi Sakamoto, Yoshihide Ohtomo, Michirou Endou, Yuji Katsui, Jyun Nagami, U-zhaan, Tenniscoats and Mariko Hamada and more. The “factory team” made a huge piece of “furoshiki” with various fabrics with different colors and patterns that were sent from all over Japan. The “furoshiki” was spread on the ground of the festival site. They built a tower for Bon festival in the middle of the site. Many people came to the festival from in and outside of Fukushima.

フェスティバルFUKUSHIMAは、主催の大友さんの人柄が繁栄され、終始愉しくゆるく進行された。会場全体に気を使わない心地よい一体感があり、参加者の皆がフィードバックをしながらジャムをやっているような柔らかい人間らしい手作りの温かい雰囲気が終始あった。

Reflecting Mr. Ohtomo’s personality, the event was very laid-back. There was a sense of comfortable togetherness and warm hand-made atmosphere as if everyone at the festival was jamming and giving feedback to each other.

筆者は会場で出会った人々にインタビューを行い、楽しい話、真面目な話、そしてプロジェクトFUKUSHIMAについての、様々な話や想いを聞いた。

Hinotori Shimbun interviewed people at the site and heard fun stories, serious stories and various thoughts about Project FUKUSHIMA.

まず、インタビューを受けてくださったボランティアの方は、プロジェクトFUKUSHIMAの良いところは、声高々に反原発を主張するわけでもなく、敢えて目的や趣旨が明確にされていないというところだと言う。プロジェクトFUKUSHIMAに集まる人々は、主催の大友さんの声で集まり、皆で1つのものを作り上げるという共同作業が楽しくて毎年集まっている。プロジェクトFUKUSHIMAは、人々が何の説明や目的もなく、ただ集まり、共同作業をし、時間を共有し、1つのものを作り上げる「きっかけ」として機能している、参加者にとって年に1度の同窓会のような場であり、夏の風物詩になっている。

One of the volunteers said that a good thing about the project FUKUSHIMA is that they have very loose way of protesting against the nuclear power. There is no sign saying “NO NUKES” or people giving out flyers against nukes. There isn’t clear purpose or main point for the event. People who gather at Project FUKUSHIMA do so because it’s simply fun to gather and create this event together once a year. Mr. Ohtomo created an opportunity for people to gather, work together, share the time and create a scene. Project FUKUSHIMA is like a whistle for the unite. It has become like a reunion for participants and a scene of the summer time.

仙台の苦竹という街からやってきた門脇さんは、プロジェクトFUKUSHIMAに感化され、自分の住む街で音楽仲間とプロジェクト苦竹という計画をおよそ 1年前に始動し、既に飲み屋や駄菓子屋などの活動基盤となるインフラ「ハードウェア」の整っていた街に、プロジェクト苦竹という文化的な「アプリケーショ ン」をインストールし、新しい街の使い方、見え方を模索している。

Mr. Kadowaki who came from a town called Nigatake started his own project with his musician friends in his town called Nigatake in Sendai about a year ago. He says that Project FUKUSHIMA inspired him to start a similar project in his own community. Nigatake already has an infrastructure, “hardwear,” such as bars and snack shops, so Mr. Kadowaki wants to install an “application,” Project Nigatake, and explore new ways of looking at the town Nigatake.

出演バンドの1つ、テニスコーツの植野隆司さんとサヤさんに、福島に来るということについて複雑な気持ちはしないのかと質問をすると彼らは、プロジェクトFUKUSHIMAは福島に来る「きっかけ」をくれるものであり、ここに人が住んでいるから福島に来る、行きたいから行く、自分が見たいものを見に行く、福島に元気を貰いに来る、難しいことは抜きでそれでいいと語った。

I asked a question, “how do you feel about visiting Fukushima where the level of radiation is high?” to Takashi Ueno and Saya from Tenniscoats, one of the bands played at the event. They said that Project FUKUSHIMA is something that gives them an opportunity to come to Fukushima. They like to visit Fukushima because there are still people living in Fukushima, they visit because they simply wants to, they go see what they want to see, they come to Fukushima to get the good spirit. They say that they don’t need complicated rationalization to come to Fukushima.

イベント終了後にインタビューを受けて下さった、2011年から毎年イベントに参加している現在ROVOなどで活動しているヴァイオリニストの勝井祐二さんは、今年の「盆踊り」企画はとても良い手応えがあったと感想を述べてくれた。

Yuji Katsui, an electronic violinist from ROVO who’s been participating in Project FUKUSHIMA since 2011, mentioned that this year’s Bon festival was a success in an interview after the event.

「2年前と1年前と今年はそれぞれいろんな意味で福島と福島の人と、そして僕たち自身の状況もすごく変わっているし、2年前のプロジェクト福島の時 は、とにかく福島に行って何ができるのか、自分たちが確認することがすごく大切だった。とにかく福島に音楽を届けたいという気持ちがすごく強かった。そして2年目、3年目は、いつも自分たちが普段東京とかでやっている音楽をそのまま福島に届けに行くのではなく、福島から新しい何かを発信できるかどうかというところに転換してきた。それが今日やった盆踊りの『ええじゃないか音頭』とかそういうことだと思う」と、プロジェクトFUKUSHIMAのあり方や趣向の推移を話してくれた。

“Many things have changed since the disaster. Situations surrounding Fukushima, people in Fukushima and people outside of Fukushima like myself were in different situations 2 years ago, last year, and this year. 2 years ago, it was very important for us to just go to Fukushima to know that there was something we can do for Fukushima.  In 2011, the first year, we had a strong desire to come to Fukushima and play music for the people in Fukushima. Then we realized that it was better to create something new from Fukushima and send out the new culture from Fukushima to the world instead of playing regular music that we usually play in anywhere else like Tokyo. So after the 1st year the focus of this project changed. ‘Eejyanaika Ondo (It’s all good song)’ that we played tonight is one example,” he talked about a shift of the project FUKUSHIMA’s focus over the course of 3 years.

原発事故や、決して安全とは言えない福島に人を集めることについては、「原発事故についての議論や原因究明や収束はもちろんしなければならない、しかし何よりも先にやらなければならないのは、『怪我をして血を流して倒れている』福島を助けること。まずは倒れている人を助ける、怪我を直すこと。福島の外にいる人と中にいる人が今日のような場を共有することが大事。希望が持てるような状況を作りたい」と語った。

He also said that helping Fukushima who is bleeding on the ground is what they need to do first even though discussing, investigating and fixing the nuclear disaster is obviously necessary.  Helping Fukushima who’s bleeding on the ground, helping people who fell and taking care of their injuries are the priority. “It is necessary to bring people together from in and outside of Fukushima and share experience like we did today. We want to create a situation that people can have a hope,” he said.

原発事故という1つの事態に対しても様々な考え方、捉え方がある。プロジェクトFUKUSHIMAをやるにあたって福島で集まりイベントをやるということについては、「良いか悪いか」という単純な問題ではない、と勝井さんは言う。

There are many ways of perceiving and thinking of one nuclear disaster. About having an event in Fukushima, Mr. Katsui said that it is not a type of simple question that can be answered by just “yes” or “no” or “good” or “bad.”

「自分の考えを元に、今日ここに行って、こういうことをしたいから来る。そのような人々がいて、福島の人々がいて、そのような人々が集まり共有する。東京にいて福島が大変だと言っていても、来てみないとわからないことがたくさんある。線量が高いというようなこともあるが、実際に人々が生活を営んでいる場所である。そこに来るだけで意味があると思う。その人々に会いにくる、見に来る」

“People come here today and do these things because they decide that they want to based on their own thinking. There are people like that, people in Fukushima and these people gather and share the experience. People always say that “Fukushima is having a trouble” in Tokyo, but there are many things we cannot understand unless we actually come to Fukushima. Radiation level is quite high here, but this is also a place where people live and work. Simply coming to Fukushima is meaningful. We come to meet those people, we come here to see them.”

勝井さんにとっても原発事故は、彼自身に関するあらゆるものを変えてしまった事件だったと言う。原発事故が起きた後、30年以上音楽活動をやってきたが、音楽をそもそもやっていくのかどうかというところから考えざるを得ないような状況だったと語った。

Mr. Katsui said that the Fukushima nuclear disaster changed his life in many ways. He has been playing music for more than 30 years, but he even had to think about if he should keep playing music.

「自分の人生、自分の表現も変わった。自分のやるべきことは何なのか、全て1から考え直した。大友さんや、今日参加した多くの人もそう。それから繋がってゆく人達も増えた。しばらく会っていなかったミュージシャン達とも、それがきっかけで繋がっていく機会が増えた。311の後、新しい生命力のようなものがないと僕らは生きていけなかった、そういったようなものが必要だった」と勝井さんは言う。

It was that kind of situation, he said. “My life changed, my expression also changed. I had to think everything over and figure out what are the things that I should do. That’s the same for Mr. Ohtomo and many musicians that played today. The opportunities to reconnect with old musician friends also increased because of the disaster. After 3.11 we couldn’t keep living without some sort of a new spirit, we needed something like that,” Mr. Katsui said.

筆者が8月15日に福島で様々な人々と出会い、話を聞いて一貫していたことは、プロジェクトFUKUSHIMAに参加している人達が、新しいものを共同で作り上げ、それを福島から発信するという作業、そして皆で集まり時間を共有するということを純粋に楽しんでいるということだった。そして彼らは「福島」を、名前を聞いただけで嫌な気持ちのする地名ではなく、逆にむしろ新しいことが発信されている、再生への希望が持てるような地名にしていきたいという想いの元に企画をしている。記者会見で大友良英さんは、「最近は『盆ビート』がきてる、とか言って福島発の音楽についてロンドンの奴らが話すようになるかもな」と楽しげに話した。「ええじゃないか音頭」は、プロジェクトのスタッフによって作詞され、大友さんによって作曲プロデュースされた、フェスティバルFUKUSHIMAの為のオリジナルのチューン。当日の盆踊りは、全てオーケストラFUKUSHIMAによる生演奏で、唄もマダムギターこと長見順さんと遠藤ミチロウさんによる生唄で行われた。

What was consistent about the people who participated in Project FUKUSHIMA was that they all simply and purely enjoyed creating something together, transmitting the music and art they made in Fukushima to the world and sharing time together. One of the aim of the project is to change the image of Fukushima from something that people feel bad or annoyed when they hear to something that people feel hope of regeneration. They want to make Fukushima a symbol of regeneration where new culture is created. In the press conference, Mr. Ohtomo fondly said, “I imagine kids in the street of London talking that ‘bon-beat (of bon odori)’ is cool.” “Eejyanaika Ondo (It’s all good)” is an original bon dance tune that created by the project FUKUSHIMA. On August 15th, Orchestra FUKUSHIMA performed this song live, Jyun Nagami played the guitar and Michirou Endou sang as the people lively danced.

彼らは福島の中と外を繋ぎ、新しい文化を福島から紡ぎ出し人々の間に絆を生み、発信し、意識の持ち方の転換、状況の捉え方の転換をしようとしている。イベントに足を運んだ人々は、そんな彼らの想いを感じたのではないだろうか。予習無し、どちらかと言うと懐疑的な気持ちで会場に足を運んだ筆者も、彼らの想いをはっきりと肌で感じることができた。

Project FUKUSHIMA is trying to make a bridge that connect Fukushima and outside of Fukushima, weaving a new culture from Fukushima and tying people with a real bond, transmitting their ideas, shifting the way of consciousness surrounding Fukushima and the way of perceiving the situation. People who attended the event probably sensed that intention. I went to this event without doing much research. I was rather skeptical about this event, however the intention of the event was thoroughly humane and they were succeeding at what they wanted to do.

記者会見で大友さんは、「福島の中の人と外の人がぶつかるエネルギーが必要」だと言った。「怪我をして血を流して倒れている」福島を孤独にしてはいけない。「ええじゃないか音頭」の歌詞には、「シャッター街」や「線量」など、福島だけでなく日本の様々な場所に空気のように存在しているが、それほど騒ぎ立てられない現状も皮肉っぽく、ユーモラスに、あっけらかんと組み込まれている。福島に対して限定的に悪い印象を持っている人も少なくないかもしれないが、様々な事柄は福島だけの問題ではなく、日本のあちこちに存在している共有されるべき問題だ。

“It is necessary to make an opportunity to crash the energy of the people in Fukushima and the people outside of Fukushima,” Mr. Ohtomo said in the press conference. We must not abandon injured Fukushima who fell on the ground and bleeding. There are words like “’shuttered local shopping district’ and ‘radiation level’ which exist like atmosphere all over Japan in the lyrics of “Eejyanaika Ondo.” The song is very humorous and innocent even though it poignantly includes the serious situation of Japan. Some people might exclusively have a bad image against Fukushima, however many problems are actually something that should be shared by everyone.

8月15日に、福島に集まった人々は、汚染された土地で、様々なことを充分頭で理解した上で、現実を直視しながら「ええじゃないか」と唄いながら踊ったのだ。

People who gathered in Fukushima on August 15th sang “it’s all good!” and lively danced in the radioactive place while understanding and straight up facing the reality of the Post 3.11 world.

収束の目処が立たない原発事故後の世界という極めて難しい状況の中で生きていくためには、おそらく科学や政治や経済や言葉や理論だけでは足りないのだろうと思う。あらゆる理由付けや不安や矛盾を越えて、私達は集まり、祭りをし、唄い、踊ることが必要な時もある。人間が持つプリミティブで、命を持つものなら誰でも持っている、言葉では定義しきることのできない人間のエネルギーや心、そういったものを人々が集まり、集結させて爆発させることが今、この惨事を経験してもなお生きていくために、前に進むために必要なのではないだろうか。絶望的と思われる状況下で人々に希望を与える。それが祭り、音楽、アート、文化のなせる技なのではないだろうか。そしてプロジェクトFUKUSHIMAはそれを見事にやってのけていると感じる。

The world doesn’t know how to put an end to the Fukushima nuclear disaster. Radiation is emitted from Fukushima Daiichi everyday into the atmosphere and to the Pacific Ocean. To keep living in the Post-Fukushima world, probably science, politics, economics, words and rationals are not enough. Sometimes people need to transcend all the reasoning, insecurity and paradox and simply gather, have a Matsuri (festival), sing and dance. In order to keep living and going forward in the Post 3.11 world, it might be necessary for people to assemble and let their primitive and indescribable type of energy explode. Generating hope in the desperate situation. That would be the special skill of matsuri (festival), music, art and culture. And I feel that Project FUKUSHIMA is actualizing that beautifully.

筆者は当日会場に行くまで、福島で敢えてこのようなイベントを行う理由を上手く見つけることができなかった。会場である街なか広場の角にも「除染をしています」と書かれた看板がある。しかし実際に足を運んでみないとわからないことは、本当にあるのだ。

I couldn’t find a reason to hold an event like this in Fukushima till I went. There is a sign that says, “We Are Cleaning Up The Radioactive Materials” at the corner of the park. However, there really are things that we can’t understand unless we actually go there and experience.

最後に、和合亮一さんが櫓の上から朗読した詩の掲載をもって、レポートの終わりとします。

At last, I end this report with a poetry performance by Ryouichi Wagou.

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすだろう

手を叩き 足踏みならし

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは叫び 我らは聖者 我らは思想 我らは祭り

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすのだ

声を上げて 汗拭って

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは真夏 我らは足跡 我らは入道雲 我らは祭り

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすのだ

手をかざし 夜 風に吹かれて

我らはふるさと 我らは交響曲 我らは群像 我らは決意

我らは踊り明かすのだ 語り合うのだ 解り合うのだ

我らは生きる 我らは祭り 我らはお囃子

我らは言葉 我らは生きる 失われた命の為に

我らは生きる 生きることのできなかった魂の為に

我らは生きる 生まれ来る新しい命の為に

我らは生きる 緑 風 土 水 の為に

ふるさとを取り戻す為に

あの日亡くなりし人々よ ここに集え

踊れ 語れ 泣け 叫べ 踊り明かすのだ

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我ら亡くなりし人々の代わりとなって生きるため

さあ 我ら 踊る 心優しい鬼となろうぞ 叫び狂う鬼となろうぞ

ふるさとを守る鬼となろうぞ

亡くなりし魂を沈める 魂となろうぞ

我々は踊り明かすだろう 手を握り 歌くちずさみ

我らは祈り 我らは叫び 我らは足踏み

我らは遥か彼方 我らは踊り明かすだろう

踊りながら 今を噛み締める

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは季節 我らは呼吸 我らは子供 我らは風

この街の子供 我らは鳥 我らは雲 我らは野道

我らはノミ 我らはお囃子 我らは太鼓 我らはとびしめ

我らは麦わら帽子 我らは調べ 我らはロックンロール

我らは大河 我らは何億頭の馬 我らは熱帯雨林 我らは入道雲

我らは鉄砲 我らはシオカラトンボ 我らは水田 我らはスカイブルー

我らは吾妻の山々 我らは阿武隈川

我らは言葉 我らは画用紙 我らは悲しみ 我らはジダンダ

我らはこぶし 怒りのこぶし

我らはエネルギー 透明なエネルギー 我らは口笛 我らは八月十五日

雲が追うてくる 雲が追うてくる

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは 我らの命を生きる 命を生きる為に

ここに 集い 集まる 守る 福島を

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

あなたにそっと 落ちた木の実を知って欲しい

実を 木の実を 落とされたままの実を わかって欲しい

実を 木の実を あなたにそっと拾われたくて

この世界に 現れてきた 美しい実を

あなたの掌に その実の 重たさを 知って欲しい

この夏の 夕暮れに

あの日 亡くなりし人々に

捧げる プロジェクト福島

August 11, 2013

The Power of Artistic Acts: A Case Of Yohei Miyake’s Election In Japan, The Election Campaign Done In The Most Artistic, Fashionable and Underground Way Possible

8/10/2013

Highly unexpected, extraordinarily artistic and poignant events sometimes liberate people from repressed situation. Sometimes artistic acts reveal how people unconsciously self-regulate and mindlessly accept repressing status quo. And it ends up hardening the already rigid view of the reality. It often takes extraordinary courage and action to breakthrough the firm situation.

In Japan, recently Yohei Miyake, a candidate from Greens Japan, did something extraordinary. In July, he utilized an Upper House election to pull out a major political and artistic act in the national scale and it ended up being a movement. He used music to the fullest, and sent out political messages mainly about environmental concerns and world peace artistically and he even weaved some spirituality into it. His decision to put aside his music career to run for election was out of a strong sense of crisis he had since 3.11 nuclear disaster in Japan. His determination, courage, strong will, consistency in his words and actions and sophisticated messages moved many people.

He defined the election as “festival” and brought up a bunch of his fellow musicians from underground music scene and toured all over Japan during the election campaign. He used the network that he built all over Japan through his music career in the last 15 years. He called his campaign “Election Fest,” used it to promote democracy and participation in the politics. It succeeded in getting attention from wide demographics including the so-called most apathetic, or desperate young generation who never were able to expect anything from the politicians.

He didn’t wear a suit, didn’t shave, didn’t even wear shoes on the stage sometimes. He wore shorts and T-shirt and a green cap. He refused to be a preexisting someone in order to be consistent with his belief which respects diversity. If the politicians reflect the diversity, it shouldn’t be such a big deal if a politician don’t wear a suit.

His election campaign was one of the lowest budget campaign supported by donation and a couple of thousand of volunteers.

He was bluntly honest and had intelligence to back up his points. And he had an excellent communication skill. He said many things that typical politicians don’t dare to say. His contested grounds were the world peace and environmental issues especially regarding the ongoing Fukushima nuclear crisis and 400 nuclear power plants in the world. These are serious concerns shared by many in Japan.

Throughout the campaign, he kept bringing up the repressed issues on the table, showed people how to face and deal with those issues, and ended up changing the conversation and atmosphere. Even though he didn’t win, he got 17,6970 votes which was 26th place among 162 candidates. There were 48 seats. But the current system didn’t allow him to win a seat.

What was played out seemed like a revolution, a movement, a shift of age, or an epic joke. It probably was a little bit of everything. Mr. Miyake somehow managed to leave a texture and iconic impression in Japan, and he is not stopping.

Followings videos are some of the musicians who played at the “election fest” to support Yohei Miyake.