Archive for ‘Uncategorized’

April 9, 2016

パブリック

「ディスコ活字爆発事件」より

ディスコ活字爆発事件: discokatsujibakuhatsujiken

混乱してはいけない

僕らはただ踊っているだけ

泣いてはいけない

リアリティーはいつでも新調できる

考えてはいけない

大きな声はいつも嘘ばかり

恐れてはいけない

それこそ奴らの思い通り

踊ろう

ここは僕たちの場所だ

-蜂谷翔子

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February 17, 2014

【大雪災害】#市民災害対策本部:ネットワーク力を生かした市民によるDIY災害対策本部

2014/2/18

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死者も多数出ていて9000人以上の人が雪の中で現在も孤立状態となっている今回の大雪被害に対応する為に、ツイッターのネットワーク力やスピード、情報収集力・拡散力という特性を活用した「#市民災害対策本部」が発足した。#市民災害対策本部では救援救助の為に、モチベーションをもった人間がそれぞれ自発的に動く柔軟かつ機動力のあるネットワークをつくり、必要な情報収集、情報提供やリサーチをし、市民によるDIY救助救援活動がより迅速に効率的に行えるように活動している。

#市民災害対策本部は、14日未明に日本アーティスト有意識者会議NAU所属の高尾洋平さんとANTA MEDIAやオペレーション・コドモタチの横川圭希さんが開始して以来、基本的には2人体勢でリレー式に交代しながら休み無しで活動。活動内容はツイッターなどを介して集まってくる大雪に関する情報収集、情報提供、現状把握、リサーチ、救援救助計画を立てることなど。交通網の状態を把握し、どのように物資を届けるか、誰がどのように動けるのか、どこの県のどのエリアで何が起きていて何が必要とされているのか、そのようなことを細やかに把握し状況に応じながら舵を取っている。

「陸の孤島」で孤立しているコミュニティーや人々、物流が止まり食料品が棚から消えたスーパー、ガソリンのないガソリンスタンド、ライフライン確保の問題、封鎖状態の高速道路、積もった雪の重さに耐えられない木造の民家、追いつかない雪かき、車の中に閉じ込められた状態で帰宅できない人々、雪で壊滅状態の農地の作物。

これが緊急事態なのは明らかだが、政府機関の対応は遅く、報道も充分になされていない。ジャーナリストの上杉隆さんはNHKの大雪に関する報道が過小なのはソチ・オリンピックという大きな「商品」の膨大な放映権料の為だと説明している。人命のかかった緊急事態の報道ではなく、前々からアレンジされていたオリンピックというマネーメーカーの放送を優先している状況。

津波、地震、原発事故、そして今回の大雪の被害。近年日本は数多くの自然災害、人災や防ぐことのできた二次災害を経験した。その都度市民は、政府が国民の命を守る為に災害に対して機敏に反応するどころか、必要な情報を流さなかったり、充分な報道をしなかったり、特に原発事故に関しては情報隠蔽までするという命よりも利権優先という政府機関やマスメディアの対応・方針を目の当たりにしてきた。#市民災害対策本部の高尾さんは、災害時に国民を見捨てる政府やメディアのあり方を「無政府状態」と表現した。ジャーナリストの今西憲之さんも、大雪で4日間も孤立した集落が東京に存在しているのに「こういうのは大したことはない。一日で終わる話ですから」と発言した東京都の新都知事、舛添要一さんの悠長で危機感の無い態度を辛口に批判している。

しかしいくつもの重い災害や人災を経験し、緊急事態時に政府の対応やメディアの報道を待つのではなく市民同士が自発的に情報共有やリサーチをし、積極的に助け合うという自立的な動きや意識が生まれ育っている。既存のメディアや政府の方針のあり方を受け入れるのではなく、自分たちが自らメディアになり行動し、現実的な変化を社会にもたらすことができることに気づき始めた人々も多くいる。

今回の大雪に関してツイートやリツイートする場合は、なるべく細やかで状況把握しやすい発信の仕方を心がけると良いだろう。助けが必要な人ももちろんSOSの声を飛ばすべきだ。どこの県のどの市のどのエリアでどんな問題があり何が必要とされているのかがわかってくると、対策を練る側もスムーズに動けるので救援は早まるだろう。救援救助が成功したときも、それを報告して目的が達成されたことをシェアすると、より全体の動きが可視化される。

今日2月18日の19時から、東京都内の#市民災害対策本部にて高尾さん、横川さん、ミュージシャンのDELIさん、先日の都知事選に立候補した家入一真さんが災害対策の為のクラウドファンディングの立ち上げについてミーティングをする。ミーティングはツイキャスで中継される予定。

#市民災害対策本部

横川圭希さんのツイッターアカウント https://twitter.com/keiki22

高尾洋平さんのツイッターアカウント https://twitter.com/Takaoyohey

July 4, 2013

7月4日公示、山本太郎を追え!

2013年7月4日ー東京

今日午前10時40分、参院選に無所属で立候補している山本太郎さんが新宿で第一声を上げた。山本太郎さんは福島原発事故後に脱原発発言が原因で事実上俳優の仕事をやめざるを得なくなった。原子力ムラや大企業の影響力が大きいテレビメディアの世界から山本さんがはじかれたということは、彼の言っていたことが本当のことであったが故に不都合だった、とうことではないのだろうか。火の鳥新聞は公示日である今日、東京中でスピーチをした山本太郎さんを追いかけた。

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山本さんは「子どもたちの被ばくを防ぐため、僕に力を貸してください」、「俳優の仕事をしていましたが、反原発の発言をして、もう仕事はしていませ ん。皆さんの不安の声を国に届けさせてほしい」、「放射性廃棄物を食べさせなければ、経済が停滞する!そんな経済はおかしい!」(*原発事故前は放射性廃 棄物扱いだった100ベクレルが今の食品の安全基準)と、東京中を駆け回りスピーチを行った。各地で人だかりができ、老若男女が山本さんのスピーチに耳を傾けた。吉祥寺では緑の党推薦候補である三宅洋平さんと共に街頭ライブを行った。聴衆には若者の姿も多く見え、政治に対する無関心や、市民のリアルと政治家の視点の乖離が進みきってしまった日本に、新しい流れが生まれるかもしれない。

*今日の山本太郎さんの日程

○新宿西口  9:00 ~ 10:00  第一声 ⇒10:40~に変更
○中野駅北口 12:00 ~ 13:00
○高円寺北口 13:30~14:00
○阿佐ヶ谷南口 14:30~15:00
○荻窪北口 15:30~16:00
○吉祥寺北口 17:00~18:00
○立川北口 18:30~19:00
○八王子北口 19:30~20:00
●夜立ち  八王子北口

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午前10時40分頃 新宿駅

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スピーチ 新宿駅

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新宿駅

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午後1時頃 中野駅

中野駅

赤ちゃんと握手 中野駅

NHKの取材カメラ

NHKの取材カメラ

ボランティア募集中!

ボランティアの青年。ボランティア募集中!

気合いの入るボランティアチーム

気合いの入るボランティアチーム

高円寺の事務所。手前は座間宮ガレイさん。

高円寺の事務所とブロガーの座間宮ガレイさん。

午後4時頃 萩窪駅

午後4時頃 萩窪駅

吉祥寺

午後5時頃 吉祥寺駅

三宅洋平さんとバトンタッチ 吉祥寺

三宅洋平さんとバトンタッチ 吉祥寺

三宅洋平さんスピーチ

三宅洋平さんスピーチ。

立川駅

午後7時頃 立川駅

午後7時30頃 演説後に続く握手

午後7時30頃 演説後に続く握手

*写真撮影は座間宮ガレイさん

山本太郎さんの公式ページ http://www.taro-yamamoto.jp/

三宅洋平さんの公式ページ https://miyake-yohei.jp/

参考記事 http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20130704-1152070.html

July 2, 2013

現役女子高生の彼氏にしたい男性の職業ランキング1位は「革命家」

7/3/2013 -Tokyo, Japan

今年も早くも半分が過ぎ、現役女子高生から「彼氏にしたい男性の職業ランキング」の統計を取る時期がやってきた。

火の鳥新聞が独自に調査を行ったところ、今年の彼氏にしたい男性の職業第一位に輝いたのはなんと「革命家」だった。そもそも「革命家」とは職業なのかよくわからないが、ライフスタイルや職種が半端ないくらい多様化してきている世の中のあり方を、現役女子高校生達は柔軟に受け入れているのかもしれない。

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それにしてもなぜ「革命家」なのか、いくつか女子高生達の意見を紹介しようと思う。

「ツイッターでエジプトやトルコやブラジルやアメリカのオキュパイ運動や日本の脱原発運動を追っているんですが、彼らの姿にいつも胸を打たれます。草の根の運動をしている一般の市民の人達が、一番まともなことを言っているって気づいたんです、彼らはとてもいい目をしていますし、勇気が素晴らしいです」と言ったのは東京都内の高校に通う畑中みかさん。

「革命家からは加齢臭がしないし、ヒッピーみたいに髭や髪が伸びててもかっこいい」と答えたのは西村あかねさん。「私利私欲の為じゃなくて、社会や世界の為に頭や心を使っている人達は見た目も若いしなんだか人間らしくて輝いています。自分の小さな世界のことしか考えてない人達は、会話もつまらないし、ちょっと危機的に感覚鈍いよな、って思っちゃいます」

「将来の安定や、貯金や家や老後のことしか考えていない人達が死ぬ程退屈」と少しきつめのコメントをしたのは辻あいこさん。「堅実」であることは重要ではないのか?という質問に対して彼女は、「遠い未来や長生きのことばかり考えている人達は今を雑に生きているように見えて魅力的じゃないし、長生きしたから何なの?と思う。人格形成もできてなくて、自分の頭でものも考えないくせにだらだら長生きしててなんなんだよ、と思う」とさらにコメントがきつくなった。おもしろいので、「長生き」は素晴らしいことではないですか?と聞いてみると、「時間はただの概念。みんな遅かれ早かれ死ぬんだから、強い信念や使命感を持って生きている人のがかっこいい」と言い切った。

「安倍さん、東北や関東がすっかり放射線物質に汚染されてるのに、原発推進したり輸出したり、TPP交渉進めたり、被爆者全く支援しないし、企業のことばっかで市民のこと考えてくれないし、失敗したけど女性手帳とか意味分からないもの作ろうとするし、かなり国民のこと舐めてますよね。私は将来子供生むかわかりません。自分も絶対に被曝しているので、子供や、子供の子供に影響が出ることはもちろんあり得ます。だから日本政府がそういう非人道的な姿勢を取り続けるなら、私は将来、子供を生まない女性を組織して日本政府に対してプロテストして、すごく慌てさせてやります」と女性革命家の卵のような女子高生もいた。

他にも、「革命家」を理想像とする女子高生達の意見には、保身的な人間にうんざり、資本主義のシステムがマジで怖い、いい加減何か変わって欲しい、あんなに悲惨な原発事故あったのに変わらないのは異常、などの意見があった。

現役女子高生がどんなものを映画で観たり、本で読んだり、ウェブで閲覧したりして影響されているのかは、火の鳥新聞はNSAではないのでわからない。ましてや現役女子高生がどんなことを思考しているのかはさっぱりわからない。とにかく革命家の方々おめでとう!

March 15, 2013

Exploitation of Nuclear Power Plant Workers.

Post-Fukushima Stories

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March 8, 2013

Post-Fukushima Stories

私は千葉県の出身ですが、父親が福島県の出身で、祖父母が福島のいわき市に住んでいたので、夏休みや冬休みにはいつも福島に遊びに行っていました。遊びに行くと、いつも海鮮物をたくさんご馳走になりました。お刺身、あわび、蟹やアンコウ鍋。祖父は昔は漁師でした。祖母はかまぼこ工場で働いていました。下の写真は皆で釣りに行った時の写真です。父がアイナメを釣ったので、私がインスタントカメラで写真を撮りました。正確な年は覚えていませんが、私は確か高校生だったと思います。

I am from Chiba, but my father is from Fukushima and my grandparents lived in Iwaki, Fukushima.  I always visited Fukushima during winter and summer vacation. They always gave us a feast from the sea when we visited. Sashimi, abalones, crabs and angler-fish hot pot. My grandfather used to be a fisherman. My grandmother worked at kamaboko factory.  Below is a photo I took when I went fishing with my family.  My father caught a rock-trout so I took a photo with my disposable camera. I don’t remember what year it was, but I think I was in high school. IMG_8508

最近私はアルバムのページをめくっていて、この写真を見たときとても悲しい気持ちになりました。私は福島がとても美しい場所であることを知っているし、そこは家族とたくさんの時間を過ごした場所でもあり、私のこころを育ててくれた場所でもあります。だから私はそれを伝える為にこの絵を描きました。

I was looking through a photo album recently and this photo made me really sad. I know Fukushima is a beautiful place.  It’s a place that I spent a lot of time with my family. It is also a place that nurtured my heart. So I made this…

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March 4, 2013

Post-Fukushima Stories

こんにちは。このインターネット上の場所、ポスト福島ストーリーズは、福島の原発事故や原子力に関する皆さんの個人的なストー リーやアー トや音楽の為の場所です。世界はあなたの声を必要としています。原発事故によって人々や自然が危険にさらされている今、私たちは表現の自由や言論の自由を 駆使し、私達の受けた傷や不安や怒りや悲しみ、私たちの心が感じた生のものを表現し、それを世界に発信することは必要なことです。日本政府は日本国民を 守ってくれません。メディアは的確な情報を与えてはくれません。それは原発事故後の2年間で明確になったことです。村上春樹さんは「我々日本人は核に対す るノーを叫び続けるべきだった」と言いました。「福島の後に声を発しないことは野蛮である」と坂本龍一さんは言いました。権力やお金が価値基準である日本 政府やメディアが沈黙しても、私たちは沈黙してはいけません。私たち一人一人は尊い存在であり、民主主義国家が人権を蹂躙することは許されることではありません。

Hello. Post-Fukushima Stories is a place for your personal stories, art and music about the Fukushima nuclear disaster and nuclear power. The world needs your voice. In a time like this, when people and nature are in danger, it is necessary to exercise our freedom of speech/freedom of expression. We have to express our pain, uneasiness, anger, sadness and the raw feelings we perceive and let our voices be heard throughout the world. The Japanese government does not protect its citizens. The media does not provide good information. This has become very clear in the last 2 years after Fukushima. Haruki Murakami said, “We, Japanese people, should have kept saying ‘NO’ to nuclear power.” Ryuichi Sakamoto said, “Keeping silent after Fukushima is barbaric.” We must not keep silent, even though the government and the media, heavily influenced by money and the…

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November 2, 2011

Occupy San Diego, Interviews on the street サンディエゴ占拠、路上インタビュー

I started interviewing Occupy Wall Street movement’s protesters.
On October 28th, I interviewed 6 protesters at Occupy San Diego.

私はウォルストリート占拠運動のプロテスター達のインタビューを始めました。
10月28日、サンディエゴ占拠にて、6人のプロテスター達のインタビューをしました。

I strongly feel it is necessary to get people’s raw voice out, unedited by mainstream media who maintains its financial health by selling advertising space for corporations.

企業に宣伝スペースを売ることによって経済的に健康な運営が可能になっているメインストリームメディアによって
編集されていない、人々の生の声を伝えることが必要だと私は強く感じます。

Protesters are smart enough not to believe everything the government and corporations say and recognize their agenda that is hidden behind the scene.
They are smart enough to know any “ism” is not absolutely perfect.
They recognize the need for fundamental change in the system.
They are very brave people.

プロテスター達は政府や企業の言うことを鵜呑みにせず、どのようなアジェンダが舞台裏にあるのかを認識している
スマートな人々です。
彼らはどんな「主義」も完璧ではないと知っている人々です。
彼らは今のシステムには根源的な変化が必要だと認識している人々です。
彼らはとても勇敢な人々です。

I respect the protesters who are exercising Freedom of Speech peacefully and non-violently.
I will keep supporting the movement.

私は非暴力主義にのっとって平和的に言論の自由を行使しているプロテスター達を尊敬しています。
私はこの運動をサポートし続けます。

August 23, 2011

いとこのスピーチ My Cousin’s Speech

これは私の高校生のいとこのスピーチの原稿です。
My cousin is a high school student. This is her speech manuscript.

彼女は日本の福島県に住んでいます。
She lives in Fukushima prefecture, Japan.

What is it to live?When I was in junior high school, I had an ethics class, and there was a lecture to think about life. Of course I understood that life was precious and shouldn’t be wasted, but I didn’t think the issue was related to me personally. However, one event triggered to change my concept about “life.”

In spring of my second year of junior high school, tumor of a malignant nature was found in my mother’s body. It was breast cancer. My mother told me and my three siblings without hiding anything. At that time, my brother, who was three years younger than me, was crying because he thought his mother was pity. I thought that my mother probably had hoped that we thought about “life” and “death” even when we were not adult yet. And we decided that everyone in the family try to reduce my mother’s burden to boost up the effect of the medical treatment. Then my mother’s medical treatment started. Although my mother became bedridden once because of the side effects of anti-cancer drug, she never forgot to smile and didn’t show a slightest indication of suffering. I believed without any doubt that my mother’s cancer was going to be cured and everyone was going to be able to have happy life together again like before.

One day, after about three months since we found out about the cancer, my mother became very upset with me. At that time, I was in some sort of comfort because I believed that my mother was going to get better with no basis in reality, and I thought I was also starting to lose a sense of reality that she was fighting cancer. While thinking that it was not my business, I listened to my mother reluctantly. But my shallow thoughts disappeared in a moment. My mother cried and said, “I don’t know how much longer I have to stay with you guys. I don’t know how many more things I can teach you guys.” I was stunned at that time. There was my mother’s figure facing “death” right in front of her. I saw her pain for the first time and couldn’t even say a word. “Death” exists near us. This reality gave me a strong impact. Everyday my mother was directly facing “death.” I couldn’t sense anything. I felt like I witnessed a part of meaning of “life.”

Next two years, my mother spent time at home to enhance her own healing ability. Condition of the cancer repeatedly became good and bad, but gradually it kept going bad. And February of this year, my mother became unable to breathe, ambulance carried her to the hospital, and got hospitalized to receive medical treatment. She was refusing to use anti-cancer drugs, but she started using them again. There was my mother seeking “life” for her family. We saw her struggle, and every one of the family reflected upon oneself and seemed to strengthen the hope to keep living with her.

On March eleventh, Great East Japan Earthquake happened. The hospital was damaged too and my mother came home temporally. Even though I was happy that my mother came home after being hospitalized for a while, I sensed that earthquake affected her physically and mentally, and her life was about to be gone. And at the second night after she came home, I talked with my mother, just two of us. My mother said she was not going to last that much longer, and wanted me to look after my siblings as the oldest sister, and lastly she said with her ordinary smile, “maybe my life was short, but I was very happy that I met you guys. Even after my body is gone, I will be watching for you guys. I want you to be just yourself and live your life hard.” My mother talked with my brother and two little sisters as well. It was the last conversation we had. The next day, she became unable to breathe and got hospitalized again. And a week later she went back to the world of lights.

Before, I only thought about how I was going to live in future, but after I experienced some time with my mother, I started thinking about what kind of death would arrive to me too. Humans cannot refuse death, and death equally arrives to everyone. I think that “life” without setting “death” equal “goal” isn’t real “life.” This is why people live hard everyday, learn many things and move forward until “death” arrives. I don’t know what is going to happen to my life I am going to live from now, but I found out that facing what is right in front of me and discovering myself little by little is living. Lastly, I’d like to thank my mother for making me realize what it means to live. Thank you.

生きるとはどういうことなのでしょうか?私が中学生の時、道徳の時間に命について考える授業がありました。もちろん命は大切だし、粗末にしてはいけないものだと分かっているが、そんなの自分には関係がないと思っていました。しかし、ある出来事がきっかけで私の「生」に対する概念ががらりと変わりました。

中学2年生の春、母に悪性の腫瘍が見つかりました。乳ガンでした。母はそのことを私を含む4人の兄弟に隠すことなくすべて教えてくれました。その時、3つ下の弟はお母さんがかわいそうだと泣いていました。母には、まだ大人になっていない私たちにも「死」について、そして「生」について考えて欲しいという思いがあったのだと思います。そして、家族みんなで母の負担を少しでも減らし、治療の効果を高められるようにしていこうという話になりました。それから母の治療が始まりました。抗がん剤の副作用で一時は寝たきりになってしまうこともあったが、母は常に笑顔を絶やさず、つらいそぶりも一切見せませんでした。私は、母はすぐに治り、もとのようにみんなで楽しく生活できるものと信じて疑いませんでした。

母からのガン告知から3ヶ月ぐらい経ったある日、私は母にとても怒られたことがありました。その時は私の頭の中には、たぶん母は治るだろうという何の根拠もない安心感に浸っていたというか、母がガンと闘っている現実を忘れかけていたような気がします。私はそんなの私の勝手じゃないかと思いながら、渋々母の話を聞いていました。しかし私のその浅はかな考えは一瞬のうちに消え去りました。母は「私はいつまであなたのそばに居られるのか分からないの。あといくつのことをあなたに教えられるのか分からないのよ。」と言って泣いていました。その時私は愕然としました。そこには目前の「死」と向き合う母の姿がありました。その苦しみを初めて目の当たりにし、私は言葉も出ませんでした。「死」は身近に存在する。この現実に私は強い衝撃を受けました。日々「死」と真正面から向き合っていた母。そばにいても何も察しなかった私。「生」の意味の一端を垣間見たようなきがしました。

 それから2年近く、母は自宅で自分自身の治癒能力を高める生活を送りました。病状は良くなったり、悪くなったりの繰り返しでしたが、徐々に悪くなっていました。そして今年の2月、呼吸困難に陥った母は、救急車で病院に運ばれ、そのまま入院、治療を受けることとなりました。それまで、拒んできた抗がん剤も再開しました。そこには家族のために「生」を求める母がいました。その姿を見て、家族一人一人が、今の自分を見つめ直し、これからも母と共に過ごしていきたいという思いを強くしたようでした。

 そして3月11日。東日本大震災が起きました。母の入院していた病院も被災し、母が一時退院をしました。久しぶりに母が戻ってくることに喜びながらも、私は震災によって精神的にも体力的にも影響を受けた母の命が残りわずかであることを感じ取っていました。そして家に来て2日目の夜、私は母と2人で話をしました。母は自分がもう長くないこと、長女として兄弟みんなを見守って欲しいということ、そして最後に母は、「私の命は短かったかもしれないけど、あなたたちに会えて本当に幸せだったよ。お母さんの体はなくなっても、ずっとあなたたちのことを見守っているから。あなたらしく一生懸命生きていって欲しい。」といつもの笑顔で言いました。母は、弟や幼い妹達ともそれぞれ話をしました。それが母と私たちとの最後の会話となりました。次の日、母は呼吸困難に陥り再度入院。そして1週間後に光の世界へ戻りました。

母との時間を通して、将来はどう生きていこうかとしか考えていなかった自分が、どのような死を迎えるのかについても考えるようになりました。人は「死」を拒絶することはできないし、死は誰にでも平等に訪れます。「死」=「ゴール」を設定しない「生」は本当の意味での「生」ではないと考えます。だからこそ人は毎日を精一杯生き、「死」を迎えるまで、多くのことを学び、前進していくのではないでしょうか。私のこれから進む人生には何が起こるのか全く分からないけれど、今自分の目の前にあることに真正面から向き合い、少しずつ新しい自分を発見していくこと、それこそが、生きることであると私は分かりました。最後に、私に生きるという意味を気付かせてくれた母に心からの感謝を伝えたいと思います。ありがとう。