Archive for ‘Fukushima’

November 20, 2013

【憲法カフェ番外編】川内博史:知ることを諦めずに質問し続けることで物事をシンプルにしてゆく

2013/11/21

11月13日にせたがや がやがや館で行われた憲法カフェ番外編『秘密保護法案について話そう』で、プロジェクト99%の安部芳裕さんと、川内博史前衆議院議員が講演した。

憲法カフェ

講演が始まってまず川内さんがした話は処刑されるソクラテスの話だった。プラトンが書き残した、処刑前のソクラテスの最後の弁明の内容は、「アテネの皆は世界一の街に住んでいるが、お金や物に心を奪われて本当に大切な魂をどこかに置き忘れているのではないか?なんの為に生きるのか?本当に大事なのは『こころ』であると皆が思い出 してくれるのならば、私は喜んで処刑されよう」といった内容だった。川内博史さんは現在の日本でも多くの人々が物質的な豊かさにごまかされ、翻弄され、「こころ」をどこかに置き去りにしていると危惧しているのだろう。

川内さんは、一見うやむやに見える収集のつかなそうな事態も、沸いてくる疑問に対して丁寧に根気よく質問をし続けることによって、わかりやすくシンプルにし てゆくことができると言う。そしてシンプルな事実を国民が共通認識として持ち、安易なイメージや妥協による政治決定ではなく、慎重な審議や議論やしっかりと検証された確かな情報などに基づいて国をつくってゆくことが大切。未だに解明されていない原発事故の原因や、不必要な消費税増税などについて、川内さんは自ら政府や東電に質問し請求した、政府や東電のクレジット付きの資料に基づいたプレゼンを行った。

この記事では川内さんが福島第一原発一号機の原子炉建屋内で実際に行った検証作業などに焦点をあてる。

<福島第一原発1号機の原子炉建屋内での撮影と検証>

事実を解明してゆく作業の一環として、川内さんは今年の3月13日と28日に、自ら福島第一原発1号機の原子炉建屋に入って撮影を行った。原発事故の原因はまだ 解明されていないので、記録を残しておくことが極めて重要だからだ。爆発でぐちゃぐちゃになっている原子炉建屋の内部は、原発事故の原因を究明する為の証拠の宝庫。まだ専門家による検証作業が行われていないのは、建屋内の線量が高く、長い時間のかかる検証作業を行うことが困難な為。撮影した映像がチラチラしているのは高い線量の為。本格的な検証作業の前に東電に原子炉建屋の中を片付けられてしまうと永遠に原因がわからなくなってしまうので、できるだけ記録を残しておきたいと川内さんは言う。

<地震による配管損傷の可能性>

「津波による全電源の喪失」というのが1号機の水素爆発の原因とされているが、地震による配管損傷や原子炉損傷の可能性もある。もしも地震による原子炉損傷や配管損傷が原因だった場合、安全対策の講じ方や、既存の原発の安全基準にも当然より厳しく懐疑的な目を向けなければならなくなる。

川内さんの「地震による原子炉損傷の疑いについて解析をして下さい」という問いに対して、「爆発の原因はわかっていない」というのが現在の政府の見解。

<水素爆発が4階で起きたのか5階で起きたのか>

1号機の原子炉建屋の爆発が4階で起きたのか5階で起きたのかはまだわかっていないことの一つ。

原子炉建屋は5階建て。川内さんのカメラが入り、1階から上階へ上ってゆく。金属製の階段、配管、ちらかっている建屋内。オレンジ色の階段は4階から5階へ上がる階段だが、爆発で潰れているため、誰も5階へは行けない。

高温の水素ガスが溜まり爆発に繋がったわけだが、5階はオペレーションルームとなっており、火元がないので発火源がわからない。

4階の天井には大きく空いた口がある。5メートル四方の大物搬入口だ。5階での作業に必要なものを出し入れする穴で、作業する時以外は人が転落したりしてしまうと危ないので閉まっている。燃料棒の出し入れ作業などもそこで行われていた。しかし水素爆発の後、その大物搬入口を閉じていた1.5tの鉄板が紛失していた。東電はどこにいってしまったのかはわからないと言っている。5階で爆発が起こり、下に落ちていれば下の階のどこかにあるはず。しかし4階で水素爆発が起きたとすれば、蓋は上に吹き飛ばされたという可能性が出てくる。

4階で爆発したのか、5階で爆発したのかは事故原因解明において非常に重要なポイント。

<非常用復水器>

非常用復水器は、地震などの際に自動的に起動して原子炉に水を回し、8時間から9時間炉心を冷やし続けることによって炉心の安定を保つ。一号機の水素爆発は、非常用復水器がきちんと作動していなかった為に起きたのでは?という説がある。

記録によると、14:46 に地震が発生し、非常用復水器は正常に作動したが、15:03に停止したとある。なぜ停止したのか?東電側の説明によると、「原子炉圧力陽気温度の変化率が55度/hrを越えないように停止操作。(手順書あり)」つまり非常用復水器は15:03に手動で停止されていた。

そして川内さんが非常用復水器を止めた理由が書かれているはずの「手順書」を請求すると、たくさんの事項が黒塗りにされた手順書が東電から川内さんに渡された。黒塗りの手順書が「非常におもしろい」ということで、その手順書が、NATUREに”Information blackout seen in redacted manual” 「編集された手順書に見られる情報ブラックアウト」という不名誉なサブタイトルと共に国際的に権威のある科学雑誌の表紙を飾った。そしてその後に、黒塗りのとれた「手順書」が公開された。

<水位計の表示>

1号機の4階には、2つの非常用復水器A系とB系ある。2011年10月18日にB系水位が85%となっていたが、2013年3月28日には、水位計が100%を指している。

どういうことなのか?

これまで水位計の表示も事実解明の参考にされてきたわけだが、川内さんが「水位計自体は信用できないのではないですか?」と聞くと当時の東電部長(現在は上務)は「そういうことですね」と答えた。

「4階と5階で同時に水素爆発が起きている可能性がありますね?」という問いに対しても、当時の東電部長は「可能性は大いにある」と証言している。

これらの証言は、原発事故の原因解明に直結する可能性のある重要な証言だと川内さんは言う。

<一号機でだけ作動しなかった記録装置>

原発には非常時の記録を残しておく為の記録装置がある。地震が起きて津波がくるまでの間(全電源を喪失する前)は非常用電源が作動し、様々なデータが残されているはず。しかし実際は、1号機のデータが取られていない。

配管損傷があったのか、津波で電源喪失するまでは大丈夫だったのか?そもそもなぜデータがないのか?川内さんが質問をすると、「プリンターの紙づまり」の為に記録が残らなかった、と東電側から説明された。原子力防災科は「補助記録装置は無く、電子的な記録も残されていない」と言う。

日本全国の原発でまた何かあったときに、また「紙づまりではまずいんじゃないですか?」と川内さんは聞く。東電側から渡された資料を見ると、福島第一原発の1号機だけで、データのバックアップがとれない状態になっていた。

<2号機と3号機にはまだ人が入っていない>

原因究明が全く手つかずの状態で現政権は再稼働や原発輸出を積極的に進めているというのが事実。

事故後、2号機、3号機にはまだ人が入ったことはない。線量が高過ぎて入れないからだ。現場検証をしなければ事故原因の解明はできない。しかし事故の原因もわかっていないのに、原子力規制委員会は新安全基準を作成して再稼働しようとしている。

「(津波による電源喪失ではなく)地震による配管損傷の可能性」を実際に政府も認めている。

<ミリシーベルトという単位について>

聞き慣れた「シーベルト」という単位、実際に何を示しているのか?「シーベルト」とは、突き詰めると、「人が何人死ぬか」を示す単位だと川内さんは説明した。

人の体には約60兆個の細胞があり、 1ミリシーベルトの被曝をすると、60兆個全ての細胞に放射線が1本ずつ突き刺さる。2mSvだと2本、3mSvだと3本の放射線が全ての細胞に突き刺さります。放射線は細胞を傷つけ、修復される細胞もありますが、細胞が修復されなかった場合、そこから癌や白血病が発症する。

1mSvの被曝による癌で死亡すると推定される人数は一万人のうち0.5人。20mSvだと11人。

<未知の領域>

今月の18日に始まった核燃料棒の取り出し作業や、これから少なくとも40年はかかると言われている廃炉作業は、東電はもちろん、人類が今まで直面したことのない状況。

燃料棒取り出し作業の工程表には「これから研究します」と書いてある。全てのことについてこれから。除染、放射線廃棄物、使用済み核燃料棒の処理の技術、どれ一つとして確立していない。

東海村の使用済み核燃料棒最終処分研究所でもそれは同じ。問題は、全て「将来なんとかします」というのが今の現状。

東海村の研究所の試験で使われている核燃料棒は4メートルくらいの細い棒で、近づいたら人は即死してしまう為、厚いガラスの向こうにある。ロボットアームをつかって持ち上げ、切って、硝酸液をかけて溶かす、そしてそれをプールに入れる。川内さんが「プールの底はステンレスだから溶けるんじゃないですか?」と聞くと「そうでしょうが、将来なんとかします」と返ってくる。

こんな状態で原子力を使い続けるのは、正気の沙汰ではない。

1号機は水素爆発だったが、3号機は核爆発だった疑いもある(自発核分裂が起きていたことは政府は否定していない)。クロル38が出たという報告は政府の資料の中に存在する。 仮に水素爆発だったとしても、少なくとも広島型原爆の168発分の放射性物質がでている。しかし、もしも3号機の爆発が核爆発であった場合は、3桁くらい違った数字になってくる。情報が明確にされ、知らされなければならない。

情報公開は民主主義の大原則。人権が軽視、無視されがちな軍事国家、警察国家、ファシズムの元では情報は隠され、豊かで住みやすい人権社会では情報は公開されオープンになる傾向がある。「政府は国民が諦めるのを待っている」と川内さんは言う。知ることや、自分たちの民意を反映させることや、腐敗と戦うことを国民が諦めるのを政府は待っている。偽りでない豊かさを手にするには、当然私たちは諦めずに、真実を知ろうとしなければならない。国の舵を取ってゆくためには、私たちはまずは知らなければならない。

Advertisements
September 19, 2013

【チダイ&座間宮ガレイ】オフラインでも動くパワーブロガー達の秋の企画、「タブー解禁!秋の原発文化祭」

2013/9/20

大手メディアがスポンサー関係の事情や保守的な体質の為に、牙を抜かれ骨抜き状態になり、本来権力の暴走を監視する役割を担っているジャーナリズム機関でさえもが権力サイドに寄り添うように報道をしている日本のメディアの窮状は、原発事故後におそらくかなりはっきりと認識されるようになっただろう。

そんな腐敗したメディア環境の中で最も生き生きと、それぞれのクリエイティブな方法で自発的に信念を持って現実と向き合い、起きた出来事に対して反応し、情報発信者として、独自のレイヤーでマスメディアが本来果たすべき役割をマスメディアに代わって果たしているのはブロガー達かもしれない。そしてブロガー達の中でも鋭い感性や洞察力や一貫性をもって質の高い情報を発信し、オフラインでも活動し、その結果として情報受信者に影響を与えている「パワーブロガー」達がいる。

原発関連の情報発信に特化しているブロガーでは、日本が脱原発できない大きな要因の1つである日米原子力協定に着目した第一人者である座間宮ガレイさんと、チダイズム〜毎日セシウムを検査するブログ〜を書いている、食べる?の出版が間近のちだいさん、この2人の発想力、持久力、行動力には目覚ましいものがある。この2人は、原発問題に真剣に切り込み、前回の参院選でストレートな態度で脱原発を掲げ続け、無所属で当選した山本太郎さんの選挙戦にもブレーンとして精力的に関わり、山本さんの周りで選挙戦を盛り上げ、オンライン、オフラインの両側で士気を高めていた。

座間宮さんは、山本太郎さんと協力体制で選挙キャンペーンを行ったミュージシャンの三宅洋平さん企画の「選挙フェス」のステージにも実際に登壇して日米原子力協定についての演説を行った経験もある。

1069249_624575939906_1327944615_n

7/20に渋谷で行われた選挙フェスで演説をする座間宮さん

この2人が共同で9月21日(土)にパワーブロガーちだい&座間宮ガレイの【タブー解禁!秋の原発文化祭】と称したイベントを13時から新宿のロフトプラスワンで行う。

企画内容は、ちだい企画「セシウムお化け屋敷!」、座間宮ガレイ企画「日米原子力協定お化け屋敷!」、ゆるゆる飲みイベント「原発フィーリングカップル(仮)」などで、料金は2000円。

原発事故や放射能汚染の捉え方や付き合い方は人それぞれ。しかし政治家がいくら嘘をつこうと、大手メディアが軽視しようと、原子力ムラが揉み消そうとしようと、放射能汚染が現在進行形で起こっているということは明らかなことであり、自国で原発事故を経験した日本人だけでなく、世界が放射能汚染と向き合わなければいけない時代。そういった意味では、ちだいさんや座間宮ガレイさんのような人達は、原発事故を節目に私たちが突入した新しい世界に敏感に反応し、迅速にやるべきことを考え、見つけ出し、行動し、最先端を突っ走っている存在と言っても過言ではないかもしれない。これから嫌でも付き合い続けなければいけない原発問題、この2人の筋の通った、知的、科学的、論理的、そして倫理的な原発事故や放射能汚染との向き合い方や、情報を受信するだけではなく、自分にできることを考え、自ら独立したメディアとなり情報を発信するという姿勢や考え方は、様々な情報発信や相互コミュニケーションのツールがある現在、多くの人が参考にできるものではないだろうか。

944273_624575036716_1499489003_n

渋谷の選挙フェスで演説をする座間宮ガレイさん

1069369_624449193906_50414997_n

(左)チダイさん(右)三宅洋平さん

柏の選挙フェスで登壇したチダイさん

柏の選挙フェスで登壇したチダイさん

August 20, 2013

プロジェクトFUKUSHIMAレポート: 新しい文化、再生への意識を福島から世界へ PROJECT FUKUSHIMA REPORT: Sending Out The New Culture And The Consciousness Of The Regeneration From Fukushima To The World

2013/8/20

日本にとっての終戦記念日でもある先週8月15日に、大友良英さん、遠藤ミチロウさん、和合亮一さんが代表を務める、プロジェクトFUKUSHIMAの企画の1つである、フェスティバルFUKUSHIMAが福島市の街なか広場で行われた。フェスティバルFUKUSHIMAは、震災のあった2011年に始まり、今年が3回目。

Hideyoshi Ohtomo, Michirou Endou, Ryouichi Wago hosted “Festival Fukushima” at Machinaka Hiroba (park) in Fukushima city on August 15th, also an anniversary of Japan’s WWII surrender. Festival FUKUSHIMA is one of the many projects of Project FUKUSHIMA which started in 2011 after the 3.11 earthquake, tsunami and the nuclear disaster.

IMG_1310

イベントには、遠藤ミチロウ、長見順、坂本龍一、勝井祐二、ユザーン、大友良英、テニスコーツ、浜田真理子など、数多くのミュージシャンが出演。会場にはプロジェクトの「工場部隊」が全国から送られてきた様々な柄や色の布を利用して作った味のある大風呂敷が敷かれ、広場の中央には盆踊りの為の櫓が建てられ、福島県内外から多くの人々が来場した。

Musicians who played at the event were Ryuichi Sakamoto, Yoshihide Ohtomo, Michirou Endou, Yuji Katsui, Jyun Nagami, U-zhaan, Tenniscoats and Mariko Hamada and more. The “factory team” made a huge piece of “furoshiki” with various fabrics with different colors and patterns that were sent from all over Japan. The “furoshiki” was spread on the ground of the festival site. They built a tower for Bon festival in the middle of the site. Many people came to the festival from in and outside of Fukushima.

フェスティバルFUKUSHIMAは、主催の大友さんの人柄が繁栄され、終始愉しくゆるく進行された。会場全体に気を使わない心地よい一体感があり、参加者の皆がフィードバックをしながらジャムをやっているような柔らかい人間らしい手作りの温かい雰囲気が終始あった。

Reflecting Mr. Ohtomo’s personality, the event was very laid-back. There was a sense of comfortable togetherness and warm hand-made atmosphere as if everyone at the festival was jamming and giving feedback to each other.

筆者は会場で出会った人々にインタビューを行い、楽しい話、真面目な話、そしてプロジェクトFUKUSHIMAについての、様々な話や想いを聞いた。

Hinotori Shimbun interviewed people at the site and heard fun stories, serious stories and various thoughts about Project FUKUSHIMA.

まず、インタビューを受けてくださったボランティアの方は、プロジェクトFUKUSHIMAの良いところは、声高々に反原発を主張するわけでもなく、敢えて目的や趣旨が明確にされていないというところだと言う。プロジェクトFUKUSHIMAに集まる人々は、主催の大友さんの声で集まり、皆で1つのものを作り上げるという共同作業が楽しくて毎年集まっている。プロジェクトFUKUSHIMAは、人々が何の説明や目的もなく、ただ集まり、共同作業をし、時間を共有し、1つのものを作り上げる「きっかけ」として機能している、参加者にとって年に1度の同窓会のような場であり、夏の風物詩になっている。

One of the volunteers said that a good thing about the project FUKUSHIMA is that they have very loose way of protesting against the nuclear power. There is no sign saying “NO NUKES” or people giving out flyers against nukes. There isn’t clear purpose or main point for the event. People who gather at Project FUKUSHIMA do so because it’s simply fun to gather and create this event together once a year. Mr. Ohtomo created an opportunity for people to gather, work together, share the time and create a scene. Project FUKUSHIMA is like a whistle for the unite. It has become like a reunion for participants and a scene of the summer time.

仙台の苦竹という街からやってきた門脇さんは、プロジェクトFUKUSHIMAに感化され、自分の住む街で音楽仲間とプロジェクト苦竹という計画をおよそ 1年前に始動し、既に飲み屋や駄菓子屋などの活動基盤となるインフラ「ハードウェア」の整っていた街に、プロジェクト苦竹という文化的な「アプリケーショ ン」をインストールし、新しい街の使い方、見え方を模索している。

Mr. Kadowaki who came from a town called Nigatake started his own project with his musician friends in his town called Nigatake in Sendai about a year ago. He says that Project FUKUSHIMA inspired him to start a similar project in his own community. Nigatake already has an infrastructure, “hardwear,” such as bars and snack shops, so Mr. Kadowaki wants to install an “application,” Project Nigatake, and explore new ways of looking at the town Nigatake.

出演バンドの1つ、テニスコーツの植野隆司さんとサヤさんに、福島に来るということについて複雑な気持ちはしないのかと質問をすると彼らは、プロジェクトFUKUSHIMAは福島に来る「きっかけ」をくれるものであり、ここに人が住んでいるから福島に来る、行きたいから行く、自分が見たいものを見に行く、福島に元気を貰いに来る、難しいことは抜きでそれでいいと語った。

I asked a question, “how do you feel about visiting Fukushima where the level of radiation is high?” to Takashi Ueno and Saya from Tenniscoats, one of the bands played at the event. They said that Project FUKUSHIMA is something that gives them an opportunity to come to Fukushima. They like to visit Fukushima because there are still people living in Fukushima, they visit because they simply wants to, they go see what they want to see, they come to Fukushima to get the good spirit. They say that they don’t need complicated rationalization to come to Fukushima.

イベント終了後にインタビューを受けて下さった、2011年から毎年イベントに参加している現在ROVOなどで活動しているヴァイオリニストの勝井祐二さんは、今年の「盆踊り」企画はとても良い手応えがあったと感想を述べてくれた。

Yuji Katsui, an electronic violinist from ROVO who’s been participating in Project FUKUSHIMA since 2011, mentioned that this year’s Bon festival was a success in an interview after the event.

「2年前と1年前と今年はそれぞれいろんな意味で福島と福島の人と、そして僕たち自身の状況もすごく変わっているし、2年前のプロジェクト福島の時 は、とにかく福島に行って何ができるのか、自分たちが確認することがすごく大切だった。とにかく福島に音楽を届けたいという気持ちがすごく強かった。そして2年目、3年目は、いつも自分たちが普段東京とかでやっている音楽をそのまま福島に届けに行くのではなく、福島から新しい何かを発信できるかどうかというところに転換してきた。それが今日やった盆踊りの『ええじゃないか音頭』とかそういうことだと思う」と、プロジェクトFUKUSHIMAのあり方や趣向の推移を話してくれた。

“Many things have changed since the disaster. Situations surrounding Fukushima, people in Fukushima and people outside of Fukushima like myself were in different situations 2 years ago, last year, and this year. 2 years ago, it was very important for us to just go to Fukushima to know that there was something we can do for Fukushima.  In 2011, the first year, we had a strong desire to come to Fukushima and play music for the people in Fukushima. Then we realized that it was better to create something new from Fukushima and send out the new culture from Fukushima to the world instead of playing regular music that we usually play in anywhere else like Tokyo. So after the 1st year the focus of this project changed. ‘Eejyanaika Ondo (It’s all good song)’ that we played tonight is one example,” he talked about a shift of the project FUKUSHIMA’s focus over the course of 3 years.

原発事故や、決して安全とは言えない福島に人を集めることについては、「原発事故についての議論や原因究明や収束はもちろんしなければならない、しかし何よりも先にやらなければならないのは、『怪我をして血を流して倒れている』福島を助けること。まずは倒れている人を助ける、怪我を直すこと。福島の外にいる人と中にいる人が今日のような場を共有することが大事。希望が持てるような状況を作りたい」と語った。

He also said that helping Fukushima who is bleeding on the ground is what they need to do first even though discussing, investigating and fixing the nuclear disaster is obviously necessary.  Helping Fukushima who’s bleeding on the ground, helping people who fell and taking care of their injuries are the priority. “It is necessary to bring people together from in and outside of Fukushima and share experience like we did today. We want to create a situation that people can have a hope,” he said.

原発事故という1つの事態に対しても様々な考え方、捉え方がある。プロジェクトFUKUSHIMAをやるにあたって福島で集まりイベントをやるということについては、「良いか悪いか」という単純な問題ではない、と勝井さんは言う。

There are many ways of perceiving and thinking of one nuclear disaster. About having an event in Fukushima, Mr. Katsui said that it is not a type of simple question that can be answered by just “yes” or “no” or “good” or “bad.”

「自分の考えを元に、今日ここに行って、こういうことをしたいから来る。そのような人々がいて、福島の人々がいて、そのような人々が集まり共有する。東京にいて福島が大変だと言っていても、来てみないとわからないことがたくさんある。線量が高いというようなこともあるが、実際に人々が生活を営んでいる場所である。そこに来るだけで意味があると思う。その人々に会いにくる、見に来る」

“People come here today and do these things because they decide that they want to based on their own thinking. There are people like that, people in Fukushima and these people gather and share the experience. People always say that “Fukushima is having a trouble” in Tokyo, but there are many things we cannot understand unless we actually come to Fukushima. Radiation level is quite high here, but this is also a place where people live and work. Simply coming to Fukushima is meaningful. We come to meet those people, we come here to see them.”

勝井さんにとっても原発事故は、彼自身に関するあらゆるものを変えてしまった事件だったと言う。原発事故が起きた後、30年以上音楽活動をやってきたが、音楽をそもそもやっていくのかどうかというところから考えざるを得ないような状況だったと語った。

Mr. Katsui said that the Fukushima nuclear disaster changed his life in many ways. He has been playing music for more than 30 years, but he even had to think about if he should keep playing music.

「自分の人生、自分の表現も変わった。自分のやるべきことは何なのか、全て1から考え直した。大友さんや、今日参加した多くの人もそう。それから繋がってゆく人達も増えた。しばらく会っていなかったミュージシャン達とも、それがきっかけで繋がっていく機会が増えた。311の後、新しい生命力のようなものがないと僕らは生きていけなかった、そういったようなものが必要だった」と勝井さんは言う。

It was that kind of situation, he said. “My life changed, my expression also changed. I had to think everything over and figure out what are the things that I should do. That’s the same for Mr. Ohtomo and many musicians that played today. The opportunities to reconnect with old musician friends also increased because of the disaster. After 3.11 we couldn’t keep living without some sort of a new spirit, we needed something like that,” Mr. Katsui said.

筆者が8月15日に福島で様々な人々と出会い、話を聞いて一貫していたことは、プロジェクトFUKUSHIMAに参加している人達が、新しいものを共同で作り上げ、それを福島から発信するという作業、そして皆で集まり時間を共有するということを純粋に楽しんでいるということだった。そして彼らは「福島」を、名前を聞いただけで嫌な気持ちのする地名ではなく、逆にむしろ新しいことが発信されている、再生への希望が持てるような地名にしていきたいという想いの元に企画をしている。記者会見で大友良英さんは、「最近は『盆ビート』がきてる、とか言って福島発の音楽についてロンドンの奴らが話すようになるかもな」と楽しげに話した。「ええじゃないか音頭」は、プロジェクトのスタッフによって作詞され、大友さんによって作曲プロデュースされた、フェスティバルFUKUSHIMAの為のオリジナルのチューン。当日の盆踊りは、全てオーケストラFUKUSHIMAによる生演奏で、唄もマダムギターこと長見順さんと遠藤ミチロウさんによる生唄で行われた。

What was consistent about the people who participated in Project FUKUSHIMA was that they all simply and purely enjoyed creating something together, transmitting the music and art they made in Fukushima to the world and sharing time together. One of the aim of the project is to change the image of Fukushima from something that people feel bad or annoyed when they hear to something that people feel hope of regeneration. They want to make Fukushima a symbol of regeneration where new culture is created. In the press conference, Mr. Ohtomo fondly said, “I imagine kids in the street of London talking that ‘bon-beat (of bon odori)’ is cool.” “Eejyanaika Ondo (It’s all good)” is an original bon dance tune that created by the project FUKUSHIMA. On August 15th, Orchestra FUKUSHIMA performed this song live, Jyun Nagami played the guitar and Michirou Endou sang as the people lively danced.

彼らは福島の中と外を繋ぎ、新しい文化を福島から紡ぎ出し人々の間に絆を生み、発信し、意識の持ち方の転換、状況の捉え方の転換をしようとしている。イベントに足を運んだ人々は、そんな彼らの想いを感じたのではないだろうか。予習無し、どちらかと言うと懐疑的な気持ちで会場に足を運んだ筆者も、彼らの想いをはっきりと肌で感じることができた。

Project FUKUSHIMA is trying to make a bridge that connect Fukushima and outside of Fukushima, weaving a new culture from Fukushima and tying people with a real bond, transmitting their ideas, shifting the way of consciousness surrounding Fukushima and the way of perceiving the situation. People who attended the event probably sensed that intention. I went to this event without doing much research. I was rather skeptical about this event, however the intention of the event was thoroughly humane and they were succeeding at what they wanted to do.

記者会見で大友さんは、「福島の中の人と外の人がぶつかるエネルギーが必要」だと言った。「怪我をして血を流して倒れている」福島を孤独にしてはいけない。「ええじゃないか音頭」の歌詞には、「シャッター街」や「線量」など、福島だけでなく日本の様々な場所に空気のように存在しているが、それほど騒ぎ立てられない現状も皮肉っぽく、ユーモラスに、あっけらかんと組み込まれている。福島に対して限定的に悪い印象を持っている人も少なくないかもしれないが、様々な事柄は福島だけの問題ではなく、日本のあちこちに存在している共有されるべき問題だ。

“It is necessary to make an opportunity to crash the energy of the people in Fukushima and the people outside of Fukushima,” Mr. Ohtomo said in the press conference. We must not abandon injured Fukushima who fell on the ground and bleeding. There are words like “’shuttered local shopping district’ and ‘radiation level’ which exist like atmosphere all over Japan in the lyrics of “Eejyanaika Ondo.” The song is very humorous and innocent even though it poignantly includes the serious situation of Japan. Some people might exclusively have a bad image against Fukushima, however many problems are actually something that should be shared by everyone.

8月15日に、福島に集まった人々は、汚染された土地で、様々なことを充分頭で理解した上で、現実を直視しながら「ええじゃないか」と唄いながら踊ったのだ。

People who gathered in Fukushima on August 15th sang “it’s all good!” and lively danced in the radioactive place while understanding and straight up facing the reality of the Post 3.11 world.

収束の目処が立たない原発事故後の世界という極めて難しい状況の中で生きていくためには、おそらく科学や政治や経済や言葉や理論だけでは足りないのだろうと思う。あらゆる理由付けや不安や矛盾を越えて、私達は集まり、祭りをし、唄い、踊ることが必要な時もある。人間が持つプリミティブで、命を持つものなら誰でも持っている、言葉では定義しきることのできない人間のエネルギーや心、そういったものを人々が集まり、集結させて爆発させることが今、この惨事を経験してもなお生きていくために、前に進むために必要なのではないだろうか。絶望的と思われる状況下で人々に希望を与える。それが祭り、音楽、アート、文化のなせる技なのではないだろうか。そしてプロジェクトFUKUSHIMAはそれを見事にやってのけていると感じる。

The world doesn’t know how to put an end to the Fukushima nuclear disaster. Radiation is emitted from Fukushima Daiichi everyday into the atmosphere and to the Pacific Ocean. To keep living in the Post-Fukushima world, probably science, politics, economics, words and rationals are not enough. Sometimes people need to transcend all the reasoning, insecurity and paradox and simply gather, have a Matsuri (festival), sing and dance. In order to keep living and going forward in the Post 3.11 world, it might be necessary for people to assemble and let their primitive and indescribable type of energy explode. Generating hope in the desperate situation. That would be the special skill of matsuri (festival), music, art and culture. And I feel that Project FUKUSHIMA is actualizing that beautifully.

筆者は当日会場に行くまで、福島で敢えてこのようなイベントを行う理由を上手く見つけることができなかった。会場である街なか広場の角にも「除染をしています」と書かれた看板がある。しかし実際に足を運んでみないとわからないことは、本当にあるのだ。

I couldn’t find a reason to hold an event like this in Fukushima till I went. There is a sign that says, “We Are Cleaning Up The Radioactive Materials” at the corner of the park. However, there really are things that we can’t understand unless we actually go there and experience.

最後に、和合亮一さんが櫓の上から朗読した詩の掲載をもって、レポートの終わりとします。

At last, I end this report with a poetry performance by Ryouichi Wagou.

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすだろう

手を叩き 足踏みならし

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは叫び 我らは聖者 我らは思想 我らは祭り

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすのだ

声を上げて 汗拭って

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは真夏 我らは足跡 我らは入道雲 我らは祭り

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは踊り明かすのだ

手をかざし 夜 風に吹かれて

我らはふるさと 我らは交響曲 我らは群像 我らは決意

我らは踊り明かすのだ 語り合うのだ 解り合うのだ

我らは生きる 我らは祭り 我らはお囃子

我らは言葉 我らは生きる 失われた命の為に

我らは生きる 生きることのできなかった魂の為に

我らは生きる 生まれ来る新しい命の為に

我らは生きる 緑 風 土 水 の為に

ふるさとを取り戻す為に

あの日亡くなりし人々よ ここに集え

踊れ 語れ 泣け 叫べ 踊り明かすのだ

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我ら亡くなりし人々の代わりとなって生きるため

さあ 我ら 踊る 心優しい鬼となろうぞ 叫び狂う鬼となろうぞ

ふるさとを守る鬼となろうぞ

亡くなりし魂を沈める 魂となろうぞ

我々は踊り明かすだろう 手を握り 歌くちずさみ

我らは祈り 我らは叫び 我らは足踏み

我らは遥か彼方 我らは踊り明かすだろう

踊りながら 今を噛み締める

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは季節 我らは呼吸 我らは子供 我らは風

この街の子供 我らは鳥 我らは雲 我らは野道

我らはノミ 我らはお囃子 我らは太鼓 我らはとびしめ

我らは麦わら帽子 我らは調べ 我らはロックンロール

我らは大河 我らは何億頭の馬 我らは熱帯雨林 我らは入道雲

我らは鉄砲 我らはシオカラトンボ 我らは水田 我らはスカイブルー

我らは吾妻の山々 我らは阿武隈川

我らは言葉 我らは画用紙 我らは悲しみ 我らはジダンダ

我らはこぶし 怒りのこぶし

我らはエネルギー 透明なエネルギー 我らは口笛 我らは八月十五日

雲が追うてくる 雲が追うてくる

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

我らは 我らの命を生きる 命を生きる為に

ここに 集い 集まる 守る 福島を

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

どぅーた どぅーた どぅどぅどぅーた

あなたにそっと 落ちた木の実を知って欲しい

実を 木の実を 落とされたままの実を わかって欲しい

実を 木の実を あなたにそっと拾われたくて

この世界に 現れてきた 美しい実を

あなたの掌に その実の 重たさを 知って欲しい

この夏の 夕暮れに

あの日 亡くなりし人々に

捧げる プロジェクト福島

August 11, 2013

The Power of Artistic Acts: A Case Of Yohei Miyake’s Election In Japan, The Election Campaign Done In The Most Artistic, Fashionable and Underground Way Possible

8/10/2013

Highly unexpected, extraordinarily artistic and poignant events sometimes liberate people from repressed situation. Sometimes artistic acts reveal how people unconsciously self-regulate and mindlessly accept repressing status quo. And it ends up hardening the already rigid view of the reality. It often takes extraordinary courage and action to breakthrough the firm situation.

In Japan, recently Yohei Miyake, a candidate from Greens Japan, did something extraordinary. In July, he utilized an Upper House election to pull out a major political and artistic act in the national scale and it ended up being a movement. He used music to the fullest, and sent out political messages mainly about environmental concerns and world peace artistically and he even weaved some spirituality into it. His decision to put aside his music career to run for election was out of a strong sense of crisis he had since 3.11 nuclear disaster in Japan. His determination, courage, strong will, consistency in his words and actions and sophisticated messages moved many people.

He defined the election as “festival” and brought up a bunch of his fellow musicians from underground music scene and toured all over Japan during the election campaign. He used the network that he built all over Japan through his music career in the last 15 years. He called his campaign “Election Fest,” used it to promote democracy and participation in the politics. It succeeded in getting attention from wide demographics including the so-called most apathetic, or desperate young generation who never were able to expect anything from the politicians.

He didn’t wear a suit, didn’t shave, didn’t even wear shoes on the stage sometimes. He wore shorts and T-shirt and a green cap. He refused to be a preexisting someone in order to be consistent with his belief which respects diversity. If the politicians reflect the diversity, it shouldn’t be such a big deal if a politician don’t wear a suit.

His election campaign was one of the lowest budget campaign supported by donation and a couple of thousand of volunteers.

He was bluntly honest and had intelligence to back up his points. And he had an excellent communication skill. He said many things that typical politicians don’t dare to say. His contested grounds were the world peace and environmental issues especially regarding the ongoing Fukushima nuclear crisis and 400 nuclear power plants in the world. These are serious concerns shared by many in Japan.

Throughout the campaign, he kept bringing up the repressed issues on the table, showed people how to face and deal with those issues, and ended up changing the conversation and atmosphere. Even though he didn’t win, he got 17,6970 votes which was 26th place among 162 candidates. There were 48 seats. But the current system didn’t allow him to win a seat.

What was played out seemed like a revolution, a movement, a shift of age, or an epic joke. It probably was a little bit of everything. Mr. Miyake somehow managed to leave a texture and iconic impression in Japan, and he is not stopping.

Followings videos are some of the musicians who played at the “election fest” to support Yohei Miyake.

July 6, 2013

7月5日:参院選を戦う山本太郎と、上野の老若男女の声

7月6日 ー東京

IMG_0914

公示日であり、ネット選挙が解禁した日でもあった4日、火の鳥新聞はブロガー座間宮ガレイさんのリアルタイムの写真のアップデートの助けを得て、山本太郎さんの公示日の1日を追った。

そしてネット選挙の解禁、山本太郎さんや三宅洋平さんなど市民側と極めて距離の近い候補者の出現などがあり、新しいうねりが生まれそうな雰囲気があり、おもしろそうだし、せっかくなので一生懸命ディープに追ってみようということで、2日目の5日は、山本さんの上野での街頭演説の様子の取材に加えて、上野の街にいた人々、アメ横の気のいいあんちゃん達、初々しくてかわいい高校生達、3代続いている果物屋をやっているおじいちゃんから、美しい着物姿の学生2人組まで、様々な人々に参院選、ネット選挙、山本太郎さん、原発問題、日本の政治や選挙についてどう感じているのか聞いてみた。

まず、下のビデオは山本太郎さんのアメ横での街頭演説の様子。原発収束作業員、原発の危険性、放射能汚染、未だに避難生活をしている方々、東電や政治家、食の安全、放射能汚染対策などについて話しています。

そして下のビデオが、山本さんの街頭演説の後に行った上野の人々の街頭インタビュー。様々な年齢、職業、性別の方々からお話を聞いた。一人一人にまんべんなく質問したのでインタビューは長めですが、なかなか興味深く、映っている方々も素敵なので、敢えてほとんどカットせずに載せました。

インタビュー後に雑談をしていた時に、「無関心」について、重富さんが「もっと政治を身近にするPRをしなきゃいけない」と話していたのが印象的だった。

インタビューの技術がまだまだ未熟な筆者ですが、快くインタビューに答えて下さった方々、本当にありがとうございました。

ちなみに今日、7月6日もイベントがある。ミュージシャンである三宅洋平さんは「選挙フェス」というイベントを7月4日から21日まで行っていて、今日の「選挙フェス」は渋谷ハチ公前から始まり、代々木公園のアースガーデンへと移動しコンサートが行われる。「政治をまつりごとに」というスローガンの元に、政治に対する意識改革や、政治を取り巻く根本的な雰囲気を変えよう、という三宅さんの姿勢はとても興味深い。山本太郎さんと三宅洋平さん、この二人の、票の為に戦うのではなく、市民、日本の為に戦うという姿は見ておいた方がいいかもしれない。

【選挙フェス】

日時:2013年7月6日(金) 14:00~20:00

場所:渋谷ハチ公前特設ステージ

14:00 SUNDRUM アフリカンパーカション軍団
14:15 座間宮ガレイ
14:30 CHICO
14:45  宙sora
15:00 NAS
15:15 Ucoca
15:30 OKI
16:00 沖野修也
16:30   ハンサム判治
16:45 K DUB シャイン×DELI×OASIS
17:30 三宅洋平LIVE w/ROOT SOUL.中村新史
18:00 山本太郎(三宅洋平送り出し→アースガーデンへ)
18:30 選挙フェスSPECIAL SESSION w/梅津和時
19:15 山本太郎
19:30 三宅洋平×山本太郎(トークセッション)
19:45 三宅洋平
20:00 終了

July 4, 2013

7月4日公示、山本太郎を追え!

2013年7月4日ー東京

今日午前10時40分、参院選に無所属で立候補している山本太郎さんが新宿で第一声を上げた。山本太郎さんは福島原発事故後に脱原発発言が原因で事実上俳優の仕事をやめざるを得なくなった。原子力ムラや大企業の影響力が大きいテレビメディアの世界から山本さんがはじかれたということは、彼の言っていたことが本当のことであったが故に不都合だった、とうことではないのだろうか。火の鳥新聞は公示日である今日、東京中でスピーチをした山本太郎さんを追いかけた。

yamamototachikawa7pm

山本さんは「子どもたちの被ばくを防ぐため、僕に力を貸してください」、「俳優の仕事をしていましたが、反原発の発言をして、もう仕事はしていませ ん。皆さんの不安の声を国に届けさせてほしい」、「放射性廃棄物を食べさせなければ、経済が停滞する!そんな経済はおかしい!」(*原発事故前は放射性廃 棄物扱いだった100ベクレルが今の食品の安全基準)と、東京中を駆け回りスピーチを行った。各地で人だかりができ、老若男女が山本さんのスピーチに耳を傾けた。吉祥寺では緑の党推薦候補である三宅洋平さんと共に街頭ライブを行った。聴衆には若者の姿も多く見え、政治に対する無関心や、市民のリアルと政治家の視点の乖離が進みきってしまった日本に、新しい流れが生まれるかもしれない。

*今日の山本太郎さんの日程

○新宿西口  9:00 ~ 10:00  第一声 ⇒10:40~に変更
○中野駅北口 12:00 ~ 13:00
○高円寺北口 13:30~14:00
○阿佐ヶ谷南口 14:30~15:00
○荻窪北口 15:30~16:00
○吉祥寺北口 17:00~18:00
○立川北口 18:30~19:00
○八王子北口 19:30~20:00
●夜立ち  八王子北口

yamamoto_Shinjuku_1040

午前10時40分頃 新宿駅

yamamoto_Shinjuku1

スピーチ 新宿駅

yamamoto3

新宿駅

yamamoto4_Nakano.jpg_2pm

午後1時頃 中野駅

中野駅

赤ちゃんと握手 中野駅

NHKの取材カメラ

NHKの取材カメラ

ボランティア募集中!

ボランティアの青年。ボランティア募集中!

気合いの入るボランティアチーム

気合いの入るボランティアチーム

高円寺の事務所。手前は座間宮ガレイさん。

高円寺の事務所とブロガーの座間宮ガレイさん。

午後4時頃 萩窪駅

午後4時頃 萩窪駅

吉祥寺

午後5時頃 吉祥寺駅

三宅洋平さんとバトンタッチ 吉祥寺

三宅洋平さんとバトンタッチ 吉祥寺

三宅洋平さんスピーチ

三宅洋平さんスピーチ。

立川駅

午後7時頃 立川駅

午後7時30頃 演説後に続く握手

午後7時30頃 演説後に続く握手

*写真撮影は座間宮ガレイさん

山本太郎さんの公式ページ http://www.taro-yamamoto.jp/

三宅洋平さんの公式ページ https://miyake-yohei.jp/

参考記事 http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20130704-1152070.html

March 14, 2013

Japan’s Prime Minister Abe Tells Its Citizens To “Shut The Fuck Up And Forget About Fukushima” 浮かれ気分の安倍首相、英語で市民を罵倒

March 14th, 2013- Tokyo, Japan

On March 14th, Japanese Prime Minister Abe, famous for not taking care of citizens after the 3.11 triple disaster and continuing wasting tax money to resume promoting very unpopular nuclear industry, told no more nukes protesters gathered around the Prime Minister’s residence, “Shut the fuck up! Forget about Fukushima!” in English. Mr. Abe who has been in a buoyant mood since the Japan-U.S. summit, has also been making delusional comments such as “I had good chemistry with Mr. Obama,” even though the summit was only a formality. If TPP (Trans Pacific Partnership), one of the topics of the summit, becomes the reality, it will assure further corruption of democracy. Prime Minister Abe also commented with his creepy smile, “We have major corporations and the nuclear industry to take care of. Economy is the priority. Did you forget the Samurai spirit? Sometimes you have to die for the country!” as if it is still WWII.

地震・津波・福島原発事故のトリプルディザスター以降、国民の安全を二の次にし、国民に指示されていない原子力産業を国民の税金で再び立て直そうとするという愚行で有名になった日本政府の安倍首相は14日、首相官邸前に集まったプロテスター達に対して、英語で「シャット・ザ・ファック・アップ!フォーゲット・アバウト・フクシマ!」と叫び市民を罵倒した。安倍首相には先日のオバマ大統領との会談以来、会談は形式的なものに過ぎなかったにも関わらず、「オバマ氏とケミストリーが合った」などという浮かれた発言が目立つ。首脳会談でのトピックの一つであったTPP (Trans Pacific Partnership) が実現すれば、民主主義の堕落は更に決定的になる。さらに首相は気味の悪い笑顔を浮かべ、「日本は大企業と原子力産業をサポートし、経済を優先しなければいけない。侍魂を忘れたのか?日本国民は時には国の為に死を覚悟しなければいけない」とまるで戦時中のような発言をした。

February 16, 2013

Ryuichi Sakamoto Shows What’s Up At UC Berkeley 坂本龍一、バークレー大学で粋な生き方を示す

February 16th, 2013 -Berkeley

Ryuichi Sakamoto, internationally acclaimed musician, gave a talk about eco-activism in Japan and the U.S. after Fukushima, and also had a solo piano recital on Feb 9th at UC Berkeley. Mr. Sakamoto is one of the few Japanese public figures who could speak out against nuclear energy industry and be the voice that Japanese people desperately need after the Fukushima nuclear disaster. Many anti-nuke people who spoke about the nuclear disaster on Japanese television were silenced, eliminated from the television medium and practically lost their voice. However, Mr. Sakamoto is still going strong to push eco-activism for people and the planet and spreading positive hope for people. Nikki Cameron, local artist who was at the event says, “he is so punk and hardcore and charismatic!”

IMG_7632

At the event, Mr. Sakamoto inspired the audience with his world-class musical talent, intelligence and heart and showed what’s up with formidable dignity and charisma. In addition, American rock star professors backed up Mr. Sakamoto. Fritjof Capra, author of Tao Of Physics, Barbara Rose Johnston and Brett L. Walker gave presentations about the issue from different aspects to give more profound and comprehensive understanding about the issue. The team of a world-class musician and professors gave the audience very high anticipation and they didn’t let them down. Glen Romett, one of the audience who flew from San Diego for this event, said with a beaming smile, “I feel like I am a teenager who are going to Radiohead concert! I’m that excited!” Greg Poland said, “those people are like Jedi!” He was single-mindedly taking a note during the presentation.

At his concert that night, Mr. Sakamoto showed his overwhelmingly precise and beautiful control of the sound. He performed many of his hit songs such as a song from Merry Christmas Mr. Lawrence. But he also surprised the audience. At the very beginning of the concert, Mr. Sakamoto and Ken Ueno performed an experimental noise and vocal piece that sounded disturbing, intense, scary and highly intriguing. It sounded like as if the lid of the hell was removed and monsters were coming out. Keiko Sakata, one of the audience, said that she thought the piece was about the nuclear disaster and radiation.

国際的に評価されているミュージシャンの坂本龍一さんが、2月9日にカリフォルニア州立バークレー大学で福島での原子力発電所事故後の日本とアメリカでのエコアクティビズムという題の講義とソロのピアノリサイタルを行いました。坂本さんは原子力発電所の事故後に脱原発の活動を続け、日本の国民が切実に必要としている声になっている数少ない日本の著名人の一人です。日本のテレビで脱原発、原子力反対派の発言をした著名人達の多くは、テレビ界から追放され事実上声を失いました。しかし坂本さんは今でも人々や環境の為にエコアクティビズムの活動を力強く続け、人々にポジティブな希望を与えています。イベントに来ていたローカルアーティスト、ニッキー・キャメロンは「彼はパンクでハードコアでカリスマ性がある!」と感激の声を上げました。

イベントで坂本さんは、世界クラスの音楽の才能と知性と心を示し、ただならぬ威厳とカリスマで、粋な人間性と生き方で観客に強いインスピレーションを与えました。さらにアメリカの大学教授陣も坂本さんを力強くサポートしました。タオ・オブ・フィジックスの著者あるフリチョフ・カプラ、バーバラ・ローズ・ジョンストン、ブレット・エル・ウォーカーは原子力問題に対するより深く包括的な理解を深めるために、様々な局面から問題にメスを入れ、プレゼンを披露しました。世界クラスのミュージシャンと頭脳のチームはオーディエンスに高い期待を持たせましたが、彼らはそれを裏切りませんでした。このイベントの為にサンディエゴからやって来たグレン・ロメットは「レディオヘッドのライブを観たティーンエイジャー並に興奮してます!」と輝く笑顔で語った。グレッグ・ポーランドは「彼らはまるでジェダイのようだ!」と言い、プレゼン中には一心不乱にノートをとっていました。

夜のピアノコンサートでは、坂本さんは恐ろしく正確で美しい音のコントロールを見せつけました。彼は戦場のメリークリスマスなど、たくさんのヒット曲を演奏しましたが、観客へのサプライズも用意していました。コンサートの一番始めに、坂本氏は上野ケン教授と、不気味で強烈で戦慄的で、おどろおどろとした興味をかき立てる、エクスペリメンタル・ノイズ&ボーカルのセッションを披露しました。それはまるで地獄の蓋が開いて、妖怪たちが続々と這い出してくるような音でした。オーディエンスの坂田桂子さんは「あのピースはきっと今回の原子力発電所の事故と、そこからばらまかれている放射能汚染についての曲なんだと思います」と語りました。